プロトコルとしての倫理学


『動く倫理学を展開する』小林道憲著を読んだ。

倫理や道徳、モラルとかは、
人間社会ができて以来動かざるごと山の如しで、
絶対的価値で不動のものでなければならないと思いがちだが。

作者はそうじゃないと言う。

「社会は常に動くものであり、生成変化するものである」



「このような観点に立つなら、倫理学もおのずから
変わらなければならない」

 

 

ゆえに「動く倫理」「動態倫理学」でなければ、
通じない。

双方が分かり合える共通したプロトコル=「動態倫理学」がないと
相互理解には至らないわけで。

朝令暮改は当たり前、朝令朝改だってある今だし。

和辻哲郎を挙げて作者は

 

「人と人の間柄の学として倫理学は「人間の学」なのだと言う」

 

 


人間は人の間と書く。
この間が、コミュニケーションだ。

中であり、その親密度が増すと仲になる。

「家族にしても、組織にしても、経済や政治にしても、
国家や国際社会にしても、人間の営む社会は、要素と要素の活発な
相互作用からなるネットワークを形成し、絶えず秩序の生成と崩壊を
繰り返し、常に変化している」

んで


「生成の場は創発の場である」

 

と。

作者は「動態倫理学」の理解促進のために、
日常生活内での事例や事象、
古今東西の経済学者、社会学者、哲学者などの言説を
取り上げている。

振れ幅が広いので、
まずは、興味を覚えた章を拾い読みすればいい。
二度目に読むときには、各章のつながりが見えてきて
視界が開ける気分になれるだろう。


とまれ、自分の頭でゆっくり考えてみる。

スマホで検索するんじゃなくて。
検索エンジンに教えてもらうんじゃなくて。

たぶん、これが本来のハウツー本だと思う。


阿部 謹也の「世間」や木村敏の「あいだ」も当然、関連している。
その本の拙レビューをば。

 

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付論の『日本のモラル・エナジー』の一文を引用。

「キェルケゴールは、当時発達しつつあったジャーナリズムに代表される大衆の時代が、分別と嫉妬と水平化の時代に他ならないとみて、逆に、純粋のキリスト教精神に帰ろうした」

 

 

これって先日のアメリカ大統領選とぴったし、重なっているような気がする。
新大統領が崩壊者か生成者かは、いずれわかると思うが。

 

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