読者の快楽


ロラン・バルト』石川美子著を読む。

知らなかったこと、その1。
バルトは晩年、小説を書こうとしていた。
意外っちゃ意外。
交通事故で亡くならなければ、
バルトの小説が読めたかも。
読んでみたかった。

知らなかったこと、その2。
バルトの死因は、交通事故ではなく、
なんと院内感染だったとか。
若い時、サナトリウムで療養していた彼には、
不運としか言いようがない。

口の悪い友人はバルトのことを
「マザコンホモセクシャルの批評家」と言うが。
のびやかな肢体をもった少女と
同様にのびやかな肢体をもった少年には、
同じ位密かにときめいたりしないだろうか。

しかし、「バルト生誕100年」を迎えて、
作品は廃れることなく読まれているそうだ。
作者曰くバルトのテキストが時代を超えて
色褪せないから的なことを述べているが、そう思う。

バルトの著作は哲学・思想に分類されるが、
テキスト、もしくはエクリチュールには、
良質の文学の匂いや味わいがする。
小説に仕立てなくとも、
読者は同じものを堪能している。

ちなみに、著者の訳したバルト本は、読みやすい。
といっても、簡単ではないが。
初めての人や頓挫した人も、
訳者を選んでバルトの世界に入るのは、いかがでせう。
もの想う秋に。

最後にいっちゃんしびれたところを長めに引用。

 

「「テクストの再現は、作者の死をともなっており、
読書の地位向上にむすびついているのです」と。
― 一部略 ―結局、「作者の死」とは、構造主義以降の
「主体の死」を高らかに宣言しているように見えながらも、
実は書くように読んでゆくという読書の楽しみを語っている
のである。そして、バルトが批評活動から読書の快楽へ移行
してゆきつつあることをひそかに打ち明けてもいたのだった」



「作者の死」というキャッチーなフレーズが、
当時はセンセーショナルだったみたいだが、
バルトはこの手の表現がうまかったと思う。
書き手を離れて大量に複製された本というテキストの複合体を
読み手である我々は、作者の存在なんて糞くらえ!(失礼)
誤読を含め好き勝手に読んでいるもんね。

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