- 作者: 吉田徹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/08/12
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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『感情の政治学』吉田徹著を読む。
作者は、人は合理的に行動しないことを
行動経済学を挙げて説明している。
経済も「感情」に大きく左右されるように、
政治もまた「感情」に大きく左右されると。
「人びとは政治に関わる時、コミュニケーションを交わし「主体」であったり、「客体」であったり、相互を行き来する。しかし、人びとの生活がアドホックでランダムであるからこそ、逆に意図せざる自由が生まれるという逆説を政治的社会化のプロセスは内包していることになる。
人びとの間の相互に与える具体的な作用や影響こそが、政治そのものの
発生の場なのである」
労働者(生産者)と消費者の関係とか。
給料は高いほどいい。企業の利潤は、
製品の価格、売上から諸々引かれて労働者に
還元されるものなのに、
消費者になると、1円でも安くと。
主婦が隣町のスーパーマーケットの目玉商品を求めて
軽自動車で行った場合、
費やされたガソリン代と時間などを含めて換算すると、
行きつけの店とコスト的に大差ないような気もするが。
「政治と人間との関係にはそもそも「統合」と「対立」の契機が埋め込まれている」
「昨日の敵は今日の友」「昨日の友は今日の敵」
三人寄ると派閥ができるし。
「求めるものが得られないから政治から退出するのではなく、求めるものを自らの持つ財を交換しながら実現していくのが政治であり、政治が在立することの条件なのである」
「自らの持つ財」というと、すぐ金を思う、金権政治家。
ちゃうちゃう。
「特定のイデオロギーや世界観のもとに大衆が引き込まれたのではなく、
「孤立化され見捨てられた」人びとの自我を穴埋めするものとして飛来したのが全体主義だった」
ハンナ・アーレントを引用しつつ、述べられた部分。これは素晴らしい。
大衆は「イデオロギー」じゃなくて「自我を穴埋めするもの」
そこに熱狂する。正しい・正しくないとかじゃなくて。
「他人の自由が増えることは自分の自由が減ることを意味しないということ、他人を信頼することで自分の自由が拡大していくような社会が作られなければならない」
これは、結びの言葉の一部引用。
最近、とみに自由と平等は相容れないものだと思っているんだけど、
作者は諦めていない。政治学者としては正しいあり様。
どうも一皿のパイを金持ちが大半を取って、残りの微々たるものを
大衆が喧嘩しながら奪い合う。そんなイメージしか抱けない僕は、
さもしいヤツなんだろうね。
その社会の実現するためのキーワードが
「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」だとか。
ロバート・パットナム以下、そっち方面の本にあたってみよう。
政(まつりごと)は、祭り事と同意なのだろうかとネット検索したら、
ピンポン!だった。
「祭政一致 さいせいいっち
「祭」は祭祀,「政」は政治で,宗教的権威に基づき,司祭者が政治権力を保持する神政政治をさす。王は呪術より発したとする J.G.フレーザーの指摘のとおり,古代国家形成期には司祭が王となる形式が多かったが,近代社会においても,バチカン市国の教皇,チベットのダライ・ラマなどの事例をみることができる。」
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
関係ないけど、選挙って大人の祭りって気がするし、賭けの対象だったりするし。