ネオニュージャーナリズムみたいな

暴力的風景論 (新潮選書)

暴力的風景論 (新潮選書)

原稿の直しを試しにやってみる。
もう少しだ。寝かそう。
暑いんでスイカをかぶりつく。
ボビー・チャールズが、スイカをかじっているアルバムジャケットが
あったな。これだ。名盤。『Small Town Talk』



BOBBY CHARLES - Small Town Talk


『暴力的風景論』武田徹著を読む。

「「風景」は「暴力」の源泉になる」

と作者は言う。


一例として村上春樹の文学を挙げている。


「村上にとってかけがえのない、慈しむべき
故郷の「風景」(芦屋の海岸)を、臨界開発で新しく生み出された
「風景」(埋め立てられ高層マンション群「芦屋浜シーサイドタウン」)が
埋没させてしまう。そうした「風景」の暴力に対して、
「君たちは崩れ去るだろう」と「暴力」的な想像力を持って
対抗しようとした」

「「風景」は「暴力」の源泉になる」、
これを立証しようと、沖縄、軽井沢、富士山、神戸ニュータウンなど、
「戦後日本」を騒がせた事件現場を歩く。

ふと和辻哲郎の『風土』あたりが、著者の考えの先駆にあたるのだろうかと
思った。
和辻の「風土が人間に影響する」というものは、
否定も肯定もできる。

インタビュー形式ではなく、あえて著者自身が現地を訪れて
昔と今の風景を通して得たものを、記していったそうだ。
体温の低い文体、
作者の感情的な思い入れが抑制されている、排除されている分、
読み手は、原風景と現風景に違いなどに
深く入り込むことができる。

小此木啓吾著が唱えた「対象喪失」という言葉の概要を
家族・親族、友人、ペットから地域・社会まで
広義的に解釈するの、ほぼ同義だろう。

都市計画を街殺しもしくは地元殺し、思い出殺しとみるか、
どうかは、人によって違うだろう。
ネオニュージャーナリズムみたいなものを感じた。

あさま山荘が今でも残っているのは意外だった。

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