- 作者: 野家啓一
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/01
- メディア: 文庫
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『[増補]科学の解釈学』野家啓一著を読んだ。
以下、感想を短く。
「プロトタイプの科学は「好奇心駆動型」とも呼ばれ、
19世紀に成立した専門家集団内部で科学者個人の内発的な関心を
動機として進められる科学研究である。
他方の(20世紀半ばに成立した)ネオタイプは「使命達成型」とも呼ばれ、
研究目標そのものが外部社会から「発注」され、
それを「請け負う」形で進められる研究にほかならない。
このことは「発注―発注」という市場メカニズムが科学研究の現場に
浸透することを意味する。それに伴って「その使命達成を請け負った
研究者には、その使命を達成する義務と責任が生じる」のである」
科学は、研究からビジネスへ。
学問から経済(金儲け)へ。
「ネオタイプ」と目にしてすぐエヴァとか思った人はヤバいかも。
「ノイラートの船」
「実際、言語とは本質的に全体論的であり従って科学的検証も全体論的であるということを、
すでに海上のある船を改修しなければいけないことに喩えたノイラートの次の比喩は、
クワインの著書“Word and Object”(日本語訳『ことばと対象』[1])によって有名になったのである。」
「われわれは、乗船中の船を大海原で改修しなければならない船乗りの様なものである。
一から組み直すことなどできるはずものなく、梁を外したら間髪入れず新しい梁を付けねばならないし、
そのためには船体の残りの部分を支保に利用するしかない。そういう具合に、古い梁や流木を使って船体全てを
新しく作り上げることはできるものの、再構成は徐々にしかおこなえない。」
「確かに「ノイラートの船」に乗り合わせた異質の文化領域に属する者同士が
「連帯」しあう図は美しい。
−略−「共通の基盤」が哲学に課せられた役割ではないのか」
「ローティは、−略−そのような哲学の活動はすでに終焉したと、宣告する」
聞き飽きた感のある「異文化交流」。
「「異質なもの」どうしのポリフォニックな交響を享受し、一致ではなく、
むしろ「刺激的で実りある不一致」を増殖させる活動こそ
哲学に期待されているものなのである」
シンフォニーじゃなくてポリフォニー。
エンパワーメントか。
ひらたく言えば、バラバラでいっしょ。
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ララビアータ 田島正樹の哲学的断想 「大学における哲学教育」