愉しき熱帯

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

 

 

『ピダハン』ダニエル・L・エヴェレット著を読む。

きっかけは、『昨日までの世界: 文明の源流と人類の未来』ジャレド・ダイアモンド著だった。

『昨日までの世界: 文明の源流と人類の未来』が、欧米とニューギニアとの比較文化で

どちらが幸せなのかという検証なのだが、いかんせん、風呂敷を広げ過ぎた気がして

上下巻読むだけでダレてしまった。

『ピダハン』は、キリスト教布教と言語研究のために、

「アマゾンの奥地に暮らす少数民族」ピダハンの元へ飛び込んだ「言語人類学者」一家の体験記。

 

西欧の価値観、言語とはまったく異なるピダハン。

アマゾン河の桁外れの自然の描写は、冒険心をあおる、あおる。

未開の人よりもなんか異星人のような。

 

 

 

「人類学者は久しく、血縁関係の構造は複雑であればあるほど、

どの関係では結婚していけないとか、どの関係が近くに住むとか同居するとかいった、血縁を基盤としたもろもろの制限が強くなると信じてきた。

だが逆もまた真なりで、親類縁者を表す語がすくないほど、血縁を基盤とした社会的制限も希薄になる」

 

 

 

 

婚姻の禁忌などがない。

 

 

 

「ピダハンの言葉には「いとこ」を表す語がない」

 

 

 

だから、そういう言葉も必要ないからない。そりゃそうだろ。

 

「家族」という意識も薄そうで、子どもたちにも平気で酒を飲ませる。

 

 

 

 

「情報伝達は何によって可能になっているのだろうか。―略―意味と構造だ。―略―言語の単位は構造(つまり形)と意味である」

 

 

 

 

 

 

「人間は音声をパターン化し、そのパターンを今度は語と文の文法パターンにあてはめるというものだ。人間の言語がこのような二層構造になっていることで、ほかの生物よりはるかに高度であるとはいえいかんせん限りのある脳でもって、わたしたちはどんな生き物より多くのことを伝達できる」

 

 

 

ピダハンの言語研究から、かようなことの認識を新たにしたり、深めたり。

 

作者が、生後まもなく母親が亡くなり、衰弱死寸前の乳飲み子を懸命に介抱、

授乳させるが、ピダハンの人々は、酒を与え、死に至らしめる。

キリスト教的あるいは文明国的延命措置は、不要らしい。

 

 

 

「信仰と真実という支えのない人生を生きることは可能だろうか。

ピダハンはそうして生きている」

 

 

 

 

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