オトナはわかってくれない

思春期ポストモダン―成熟はいかにして可能か (幻冬舎新書)

思春期ポストモダン―成熟はいかにして可能か (幻冬舎新書)

昨日、ヒカリエでも冷やかしてから
副業先へ行こうとしたら、入場制限していた。
ユーハイム、東急ストア、
三省堂書店も、渋谷東急や東急名画座、
五島プラネタリウム…。
オトナの(女性の)マチに変身するらしい、渋谷は。


『思春期ポストモダン斎藤環著を読む。
昨今、とかく若者が変わったなどと
やいのやいのと言われるが、
「変貌したのは年長世代のほう」というフレーズに
はっとする。たぶん「団塊ないし全共闘世代」だろう。
ポスト団塊世代以降の「三無主義」の延長線上に
「ひきこもり」があると。
いい歳こいたぼくでさえ、オトナの分別とか
いまだ、よーできんと思うし。


作者のいまの若者を
「ひきこもり系」と「自分さがし系」に二分した分類法は面白かった。
ラフにまとめると、
前者は友だちが少なく、もっぱらインターネット。
孤独に強い。
後者は友だちが多く、ケータイ電話命。
孤独に弱い。
SNS全盛の今はどうなんだろう。
「コミュニケーション能力」の差が、リア充の差になると。
でもそれは違うさ。
明るくはきはきしていて、「要領も良い」「自分さがし系」だが、
見た目と違って内面はいつも揺らいでいる。


オトナ=成熟。だが、作者は、この考えを「過去の遺物」と述べている。
これからは「「成熟」ではなく「適応」」
もしくは「小さな成熟」であると。
わかったようなわからないような文学的な言い回しだが、
なんとなくわかる。


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