脱所有

シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略

シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略


『シェア <共有>からビジネスを生み出す新戦略』
レイチェル・ボッツマン/ルー・ロジャース著を読む。
確かにシェアによる新ビジネス事例がふんだんに取り上げられているが、

  • それも参考になるけどね-

インターネットとPC、つまりITによる
所有・私有から共有へのパラダイムシフトつーか、
そのエッセンスが書かれている。
いま、ぼくが20代とかだったら、洗脳されたかもね。
原題が「What's Mine is Yours」。
「私のものはあなたのもの」と訳されている。
以前ぼくのブログでワークシェアリングを賛辞したら、
珍しくコメントがあり、断固ハンタイの人からだった。
以下引用と感想。

「モノの所有−実際の物理的なものの所有−はそれほど重要でなくなって
きている。モノは単なる手段になりつつある」

さあて、このあたりは意見が分かれるだろう。
コレクターや捨てられないひとでない限りは、概ね首肯するだろう。

「「搾取し、製造し、廃棄する」サイクルを止める」

かつて政府広報だったと思うが
「捨てればゴミ、使えば(活かせば?)資源」というキャッチコピーがあったが、
そういうことか。

「コラボ的ライフスタイルでは、そうした居場所をとおして、
人々がコラボレーションし、新しい社会的つながりをつくり、シェアしたり
助けてもらったりすることへの抵抗感と古臭いイメージを払しょくする」

SNSなどでのバーチャルコミュニティは、ネット縁といってもよいだろう。
ネグリ=ハートの「マルチチュード」の変形みたいなもの。違うか。

ティンバーランド(新製品のアースキーパー2.0のフットウェア)」は
新製品を買う代わりに、新しくしたい部分だけを取り替えられるのだ。
−略−死ぬまで使えるいうの改良し修理できる、「一生モノ」の製品になっている

ファストファッションの対極。素晴らしいとは思うが、
「一生モノ」という言葉がどうもペテンっぽく思えてしまう。
これも対応できるものとできないものがあるが、
日本の家電なんてすぐに−メーカーはそうみないだろうが−
部品が生産完了となってしまう。

GDP(国民総生産)という単純化された指標は、ますます見向きされなくなっている。
GDP崇拝への反論は、人は生産量だけで評価できないというものだ」

資本主義社会の遺骸の象徴的なものの一つなのか。
ある程度工業化が進んだら、人口の多い=労働力が潤沢な国にかなうわけがない。
じゃあ人は何で評価すればいいんだろう。


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