意味がないことに意味がある

いい女vs.いい女

いい女vs.いい女


『いい女vs.いい女』木下古栗著を読む。
バカと暇人のためのものであるブログやtwitterを巡回していたら、
めっちゃおもろい小説と紹介されていたから。
巻末のプロフィールにこう書いてある。

「饒舌な文体で澱みなく語られる
その内容のほとんどに意味がない」。

ほんとに、そうだった。
どういえばいいのだろう。
鴨川つばめの『マカロニほうれん荘』をはじめて読んだときに似ている。
取材で博多に行って夜、
はじめて本場のとんこつラーメンを食べたときに似ている。
一読で衝撃、二読三読でクセになる。
でなきゃ読むのを拒否するか。どちらかだ。
自ずと読者は限定されるだろう。
エロ劇画でギャグ漫画的世界は、
エロ、グロ、ナンセンス、
すべてにおいてあほらしさが過剰にある。
「意味がない」のに、ここまでやる。そのことに意味があるのか。
登場してくるアポローン的造形美のキャラクターたちは、
人工美というかフォニー、いかがわしさにあふれている。
『本屋大将』は『本屋大賞』や書店員を揶揄するかのようなタイトル。
ましてや次の『教師BINBIN竿物語』とは、AVのタイトル真っ青だし。
『いい女vs.いい女』に出てくる「Vネック耐久レース」は、
マジくだらなくて笑った。
『モンティパイソン』のコントの如し。
このこってり系ナンセンス、ぼくは替え玉しようかなっと。


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