演歌って

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)

請求書を書いたり、お仕事メールを出したり。
だるいのは、湿度のせいか。
慢性的な疲労のせいか。
こんな時は、読書に逃げ込む。
片端から読んでいるので、メモに落とし込む時間がない。
うそ。めんどくさいだけ。


『創られた「日本の心」神話』輪島祐介著を読む。
「演歌」をめぐる論考なのだが、恐れ入るデキのよさ。
そも「演歌」は川上音二郎の『オッペケペ節』などに」代表される演説の歌。
それが、いつ、いかにして日本人のソウルミュージックになったのか。
意外なことに新しく「一九六〇年代後半」のことだそうだ。
「演歌」というと耐える女だのステロタイプを想像しがちだが、
作者はその領域の広さを指摘している。
演歌より流行歌。歌謡曲ではないかと。
洋楽もしくは洋楽的なもの−ポップス−が
「健全」戦後アメリカナイズドされた表文化なら、
演歌は「対抗文化」懐かしのカウンターカルチャーだと。
もっとも歌謡曲創世記から音楽学校で正統な音楽教育を受けた層と
自己流でいわば草の根出身の層と二極分化され、
互いに刺激しあってしてきたのではないだろうか。
意外だったのは竹中労が『美空ひばり』を刊行したとき、
美空ひばりの存在が文化人から蔑まれていたということ。
作者は演歌をこのように定義づけている。

「「演歌」とは、「過去のレコード歌謡」を一定の仕方で
選択的に包摂するための言説装置、つまり「日本的・伝統的な大衆音楽」
というものを作り出すための「語り方」であり「仕掛け」であった、ということです」

もやもやしたもの、人によって厳密にいえば異なるのだが、
あるネーミングで串刺しすれば、便利、重宝。
「演歌」もそのタームの一種であると。
艶歌、怨歌、援歌という括りもあったなと。


かつてとんねるずの『雨の西麻布』でご当地ムード演歌を
パロった秋元康見岳章コンビが美空ひばりのラストシングルとなった
『川の流れのように』をものし、演歌のスタンダードナンバーに
なっていることは、ミイラ取りがミイラになったのか。
いわゆる昭和歌謡に興味のある人はYouTubeで見てみよう。
昔の歌の方が歌詞を鮮明に覚えているのは、なぜだろう。ボケか。


人気blogランキングへ