言葉は、ノイズ

『科学の横道』佐倉統一編から引用と感想。

○漫画家・浦沢直樹との対談

「佐倉 たしかに、その時代の主流でうまくいっている人は、イノヴェーション
をする必要がないから当然です。既存の枠のなかでうまくいっていない人がイノヴェーションをする。科学者でも、ニュートンやアインシュタインは、相当ひねくれものだったらしい。」

技術でもアートでもそれまで積み上げられてきたものに、一段何かを積み上げれば評価される。ところが、突然、どこからともなく現れた、
まったく新しい得体の知れないものに対しては、拒否反応を示す。
それはその価値判断基準がないからだ。
だけど新奇なものとて伝統や主流の学説をたたき台にしている。


○小説家・堀江敏幸との対談

「佐倉 科学者からすれば、それはあくまでもノイズなので、できるだけその影響を小さくするように努めるのがプロの科学者の態度だ、ということになるんだと思います」
「堀江 そこが、たぶん、文系の世界との違いですね。ノイズも音のうち、ノイズもデータだという考え方ですから。ノイズのない音は、音にならないという世界で僕らは仕事をしている。言葉は、ノイズですから」

「ノイズのない音は、音にならない」。この一文を読んでミネラルウォーターと純水を思い浮かべた。科学的にピュアなのは、純水の方だが、飲んでおいしいのは、さまざまなミネラル分が含有されているミネラルウォーターの方だ。
「言葉は、ノイズ」。そう思うと伝わらないのは当然かもしれない。誤解・曲解されるから面白いとも。

理学療法士・三好春樹との対談


「三好 「介護」の介は媒介の介。媒介というのはヘーゲルの言葉(Vermittlung)の訳語で、あるものを通して他のものを存在させるもの、という意味。つまり介護とは、私という存在を媒介として、老人という他の主体を存在させるということです」

「三好 介護は、理科系と文科系の両方を含みます。「老化」と「老い」の両方が入っていますから。老化は理科系で、老いは文科系的」

介護に求められるのは、理系の知と文科系の情、機微ってことなのだろうか。
まさしく臨床、現場なわけで。
「介護とは、私という存在を媒介として、老人という他の主体を存在させる」。
これは深い。身体がちとギクシャクしても頭ははっきりしているぼくの父親が
なぜデイケアセンターで一緒にお遊戯などするのを嫌がるのかも、よくわかった。


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