- 作者: 岡潔
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2006/10/12
- メディア: 文庫
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前倒しで原稿を送って、戻しがあるまで『春宵十話』岡潔著を読む。
現況にぴったりの箇所があってびっくり。
シンクロニシティ、偶然。
長めの引用。
「数学と物理は似ていると思っている人があるが、とんでもない話だ。職業にたとえれば、数学に最も近いのは百姓だといえる。種をまいて育てるのが仕事で、そのオリジナリティーは「ないもの」から「あるもの」を作ることにある。数学者は種子を選べば、あとは大きくなるのを見ているだけのことで、大きくなる力はむしろ種子の方にある。
これにくらべて理論物理学者はむしろ指物師に似ている。人の作った材料を組み立てるのが仕事で、そのオリジナリティーは加工にある。理論物理はド・ブローイー、アインシュタインが相ついでノーベル賞をもらった1920年代から急速にはなばなしきなり、わずか30年足らずで1945年には原爆を完成して広島に落とした。こんな手荒な仕事は指物師だからできたことで、とても百姓にできることではない。いったい30年足らずで何がわかるだろうか。
わけもわからずに原爆を作って落としたのに違いないので、落とした者でさえ何をやったかその意味がわかってはいまい」
物理学者と丁寧な仕事をする指物師からの反論が聞きたいけど。
ノーベル賞自体が、ダイナマイトの利益だよね。
インフラに貢献するが、爆弾にもなるし。
考えてみりゃノーベル平和賞って、矛盾してないか。
核処理施設を人里離れた地につくろうとしたが、
いくら札束で頬をひっぱたいても地元民から反対され、
なら内モンゴルの砂漠の地中深くに埋設するのはと。
これもあえなく反対され、
かくなる上は妙案とばかりにロケットに積んで宇宙へ。これが、ほんとの宇宙塵。
とかいっている場合じゃなくて、こっそり、核のゴミが宇宙へ不法投棄。
やがてそのロケットの残骸を引き連れて
お礼参りに来る地球外生命体。って、なつかしの「ウルトラQ」のような話。