戦争と広告

戦争と広告

戦争と広告

『戦争と広告』馬場マコト著の感想メモ。


山名文夫といえば、資生堂。あの伝統の美しい唐草模様で知られるが、
独学というか仕事で技術や感性を磨いていったことは知らなかった。
資生堂一筋かと思いきや、出たり入ったり。これも意外だった。
年下の名取洋之助からバウハウスを学んだり。また文章もお手の物とは。


思い出した。ラフデザインにキャッチコピーを入れて、
こんな感じと指示するアートディレクターがいた。
しかもそのコピーが良かったりして。

つらつらと引用。


「だれもがバスに乗り遅れまいと必死だったのではない。だれもが自分の足もとで、自分がやるべき仕事を手にできないことに飢餓感を感じていた。このままなにもしないでいたら、時代に取り残されてしまうという不安と恐怖。時代の空気と時代の水に晒されていないと呼吸が止まってしまうのが、昔も今も変わらぬ広告の仕事なのだ。それは1940年にあっても、2010年にあっても変わらない広告の本質だ。時代にすり寄ろうとしていたのではない。すり寄って生きられれば、彼らはもっと楽に生きられただろう」

山名文夫以下23名でつくった結社の評価。


なんだか回遊をやめると死んでしまうマグロのようだが、
本来の仕事が減れば、自ずとプロパガンダにも手をつけるだろう。
それは戦争協力なのかといわれれば微妙なところだ。
もともと広告は資本主義社会の手先みたいなものだし。

「「撃ちてし止まん」「八紘一宇」−一部略−などの時代のことばを、ただ並べておけばこと足りるとした「戦う広告」制作者たちとの、それは確実に一線を画する考え方であり、時代への新たな挑戦だった」

彼らがつくったパネルは、デザイン、コピーともに評価の高いものだったそうだ。
ただしその「一線を画する」試みは、きわめて判別しにくい。


その作品をつくった場所が、前川國男のアトリエ。
配給の1ヵ月分の石炭を一晩で使い果たして、前川事務所の若者に文句をいわれる。
若者の名は丹下健三。など、わくわくする逸話も入っている。


「撃ちてし止まん」と「贅沢は敵だ」や「欲しがりません勝つまでは」とは、
どう違うのか。同じ国威発揚のスローガンなのではないか。
後者は大政翼賛会に所属していた花森安治の作といわれている。
戦後、花森は『暮らしの手帖』を創刊し、『一銭五厘の旗』で、落とし前をつけている。

「なぜ広告技術者は、この時代にしか、しがみつけないのか。広告制作は一見、絵画や文学と似た要素があるため同質のものだと誤解する。しかしまったく違うものなのだ。絵画や小説はつねに「生」の裏にある「死」をかかえこむ。広告企画は「死」を排除するところからはじまる。思考回路がまったく違うのだ」

「広告企画は「死」を排除するところからはじまる」。ああそうかと納得。
気が付いたらぼくもそういう「思考回路」になっている。
だから空は青空、明るいコードのCMサウンド、みんな笑顔、白い歯…。


優れた広告クリエイターである作者は、戦争は絶対反対だが、
万が一戦争が起こったら先輩方を凌ぐものをつくると述べている。
広告屋の性(「さが」と読んでね)、プロフェッショナルだといえよう。


この本の書体、レタリングが素晴らしく、山名文夫かと思ったら、奥村靫正だった。かつてYMOのジャケットワークやステージ、中沢新一の本の装丁などを手がけた人。


余談になるが、お笑いのバカリズムの自作パネル、
絵のうまさよりもレタリングのうまさに驚いた。


山名文夫 - Wikipedia


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