俯瞰する眼差し

ドラッカー名著集7 断絶の時代

ドラッカー名著集7 断絶の時代

「断絶の時代」P.F.ドラッカー著の引用と浅漬け感想メモ。

「今日世代間のギャップは大きい。これほど平均年齢が若返ったことはない。他方、平均余命、特に労働年齢が伸びた結果、高年者が増え、権力の座にいる期間が長くなっている」

お笑いでいうところの上(大御所)がつかえている状態。
高齢者が増加するのは止むを得ないが、「権力の座にいる」これだよね。
そうするとどうしても高齢者は高齢者に甘くなる。

「実のところ、今日の若者が恐れているのは組織社会がもたらした意思決定の重荷である。昨日までは、人生は生まれたときに決まっていたにもかかわらず、今日突然、人生に選択の問題が生じた」

「意思決定の重荷」がイヤでドロップアウトした。浅田彰の『逃走論』だ。
昔は生まれた階層でたぶん一生も職業も決まっていた。
職業選択の自由は素晴らしいのだが、あり過ぎてなのか、何に就くのかが決められない。
どうやら人は何でもあり状態だとうまく決められないらしい。
失念してしまったが、カラーバリエーションも5色くらいがちょうどいいというのを読んだことがある。

「仕事に知識を適用する時代にあっては、継続教育すなわち経験と実績のある成人を何度も学校に帰らせることが必要になる。そしてそのとき、将来必要となるものをすべて学ばせるという今日の学校の意図が意味をなさなくなる」

ちょっと前までは経験を積めば、それが引き出しとなって通用していた。
ところが、たとえばITやコンピュータの知識は、日々新しいものに更新されているので、経験は引き出しにはならないし、学校で学んだものはいわばポンコツ化している。刀を錆びさせないために研ぐように、社会人になっても教育が必要だと。

「とるべき道はゼネラリストからスペシャリストではなくその逆である。
ゼネラリストたるためには経験との関連において専門知識を理解する能力、
すなわち専門を一般に関連づける能力が必要とされるからである」

企業でいう総合職と専門職。人事の人が一番頭を悩ませているところ。

「したがって継続教育こそ、真のゼネラリストを生み出す場である。そこにおいてこそ、全体すなわち総体を見、哲学し、意味を問うことができる」

全体を俯瞰できる眼差しって、それって、ウィトゲンシュタインじゃん。


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