- 作者: 三中信宏
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/09/17
- メディア: 新書
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『分類思考の世界』三中信宏著の浅漬け感想メモ。
「「系統樹思考」が「タテ思考」ならば、「分類思考」は「ヨコ思考」である」
系統樹は言い換えればWeb設計などのツリー図。
具体的にこう述べている。
「系統樹思考はオブジェクトどうしを「つなぐ」ことによって体系化を目指す。
一方、分類思考はオブジェクトのパターンを「わける」ことによって体系化しようとする。
「つなぐ」ためには系統樹が必要となる。そして、「わける」ためには分割された集合すなわち
「群(gruoup)」が必要となる」
「つなぐ」のではなく「わける」
マーケティングで言うところのグルーピング。
「群(gruoup)」とはコミュニティであり、社会ってことだよね。
その代表がリンネの考案した生物の分類でおなじみ
「「種」−「属」−「科」−「目」」
だそうだ。
バラ科が多すぎると記憶しているが。
「過去半世紀にわたる認識人類学や民族分類学が明らかにしてきたように、
私たちヒトは、あるバイアスを帯びた“世界観”を形成し、その世界観の
もとで実際に人間や生物や自然や天体について理解しようとしてきた。
そのバイアスはほかならないヒトがたどってきた進化の過去の反映であり、
私たちはそのバイアスと寄り添いながら日々生きているのである」
深い一文。バイアスをかけずに生きるなんてできないよな。
コレステロールのように善玉バイアスと悪玉バイアスがあったりして。
「長い歴史をもつ分類学は、それが経てきた時代ごとに
新しい“革袋”を編み出してきた」
しかし、その革袋に入れるのは「古い葡萄酒」だと。
なぜなら、
「リンネ以降、現在にいたるまでの生物体系学のルーツには、
記載の科学とともにあった原初的な民族分類の思考形式が基盤として
残っている」
からだ。
で、
「私たちは日常的に「種類」という言葉になじんでいる。−略−
しかし、生物学者は何世紀もの間、まさにこの「種とは何か」−略−
問題に取り組んできたが、いまだに解決の見通しは立っていないのが
実情だ」
分類学の先達、中尾佐助の理論の作者の解釈が興味深い。
「中尾は普遍的分類を実現させるためには“学”の垂直思考ではなく、
“論”の水平思考こそ必要なのだと語っているように思える」
有体に言ってしまえば、スペシャリストじゃなくてジェネラリスト。
ってことか。
ひょっとしたら美酒かもしれない。
あるいは酢になっているかもしれないが。
ジャン・ティンゲリーのジャンクアートのように、
ええとぼくが知っている範疇では
デカルトが「魂の存在場所」と考えた松果腺のように、
とんでも理論やオカルトとか言われる古いジャンク理論が
敗者復活するのかもしれないし。