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(ブレインズ叢書1) 「批評」とは何か? 批評家養成ギブス

(ブレインズ叢書1) 「批評」とは何か? 批評家養成ギブス

昨日は16時から四谷で入稿前の印刷物の文字校正。
企業によっては表記法などを決めているところもあるんだけど、
−パーティーじゃなくてパーティとか、そういうの−
ここはないようだ。
厳密な文字校というよりもコピーまわりのチェックが主。


地下鉄内でめっきり増えたマスク着用を横目にしつつ、
『「批評」とは何か?』佐々木敦著を読む。
おもしろくてためになる。
作者に倣えば「小島信夫が小説は自由に書けばいいんだ」と
教えてくれたように批評とて「自由に書けばいい」。
小説家が批評や評論は不要と声高に叫んでも、
批評や評論を書くのは、小説を書くのと同様に
自由であり、どう書いてもいいはずだ。
「私性」を排除したつもりでも、最後には見事に露呈している、
それでいいんだと。
だってバックデータは、ネット検索すれば、大抵出てくる。
評論っていうと、そういう、データの引用の織物だったかもしれないが、
ちゃう、ちゃう。これからは「センス」だと。

「物知りじゃなきゃ批評は書けない、ある批評対象について
たくさんの知識と情報を持っていなければ批評は書けないとはぼくは
今は全く思わない」

ここも納得。

「社会学系の人が、サブカル的なものを対象として扱うことがよくありますよね。
だけど、自分が会得した理論的な解読方針で何でも斬れるっていうことは、
あくまでも、「対象の方からこっちに向かってくるんだ」っていう考え方が
ないと、批評の暴力になっちゃうと思うんですよ。理論的な暴力っていう」

「対象の方からこっちに向かってくるんだ」
書くんじゃなくて書かされるってやつね。憑いてくる、降りてくる。


この本で作者がシネ・ヴィヴァンの映画館員のアルバイトを
していたことを知った。で、映画レビューが批評家のはじまりだったそうだ。
六本木シネ・ヴィヴァンや蓮実重彦が当時の青少年に与えた
ウィルス的インパクトとか、
懐かしい。そのアルバイトの後釜が、中原昌也という。
事実は小説よりも〜なり。


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