島交錯

群島‐世界論

群島‐世界論

予定していた仕事、来ず。
でもきっと、締切はケツカッチンなんだろな。
合間にお久(ひさ)メールを関係者各位へ送る。
最近の仕事のコンテンツ、リンク先があればそれも併記して。
水商売の人が、「あんら〜来てね」って営業電話する、あれである。
意外と忘れらたりしているものだし。


その合間に『群島−世界論』今福龍太著を読む。
巻頭の「群島認識図」「群島世界地図」も図版が素晴らしい。
小学生のとき、『ロビンソン・クルーソー漂流記』や
『十五少年漂流記』に感化されて、
自分で島の地図を描いたことがあった。
南海の孤島。四方は切り立つ断崖絶壁。
しかし、そこを越えれば、平原が広がる。
野生化したヤギが草を食んでいる。
そこは、太古は海底火山で、隆起して
火口がいまは平原になっている…。
なぜかダイヤモンドがゴロゴロしている。


大著で晦渋な箇所もあるが、かまわず読み進むと、
島に再び魅了される自分がいる。
なぜ大陸ではなく、島なのか。
本書によると、新大陸と称されるように欧州諸国は、
島よりも大陸に侵略先、植民地としてのメリットを覚えていたそうだ。
鉱物などの資源、スパイス、ゴムなどの植物資源、
あるいは奴隷のような人的資源などだろうか。
あとは、島のもつ開放感かな。
インターネットの島宇宙だの、分散的知性だの
そういう言葉が「島」に重なってしまうからなのだろう。
文字による島めぐり。作者曰く「言葉による群島航海」。
紹介されていたメルヴィルの『エンカンターダス』と
ラフカディオ・ハーンの『カリブの女』が読みたくなり、
図書館に予約する。


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