土台

家を出る日のために (よりみちパン!セ 32)

家を出る日のために (よりみちパン!セ 32)

外はいい天気。
返却資料を着払いでコンビエンスストアまで出しに行く。
外ネコも家ネコも丸まってお午睡。


女性コピーライター、ライターの打診があり、
先輩のコピーライターを紹介する。
一度会っているのだが、忘れているようだった。
午後にお礼のTELあり。
いえいえ、ぼくの方こそ、いろいろご紹介いただいているのだから。


『家を出る日のために』辰巳渚著を読む。

「自由はあるけれども、決まりごとがない」
「情報はあるけれども、生きた智恵がない」
「物はあるけれども、暮らし方がない」

いつものように手厳しいが、納得できてしまう。
戦後、欧米にキャッチアップしようと、経済的な豊かさをめざし、
一時は、追い越してたかのように見えた。
しかし、それと引き換えに「戦後三代」で伝統や文化という「土台」を失くしたと。
暮らし方もか。例として作者は着物をあげている。

「自分よりも経験のある人に教えられ、自分でも経験したり
お手本を真似たりしていくうちに、しっかりと着こなしや着物のルールを
自分のものにしていく。つまり、着物を着る「土台」ができる。
そして、この「土台」があるかないかで、着物を「自由に」着こなせるか
どうかが、大きく違ってくるのだ」

なんだか幸田文の随筆のようでもあるが。
「土台」があってこそ、はじめて自由にできる。型があってこその型破り。
とはいえ、昔に帰れとはいっていない。だって、無理だもの。
「ほんとうの暮らし」は、オリジナル、試行錯誤の末につかみ取るもの。
で、「一人前」だそうだ。はは、いい年こいて、まだ半人前だぜ。


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