過去は現在の一部

連休だけど、子どもの学校の下見や塾の面談、模擬試験があり、
妻子は多忙。ぼくは、半分引きこもり状態でだらだら読書や録画を見たり。


『学歴・階級・軍隊』高田里惠子著の読書メモ。

この本に引用されている安岡章太郎の言に倣えば、
過去は次に来る現在の一部を内在している。
戦前が、元祖格差社会だったことは否めないが、
戦後の平等社会の萌芽は、なんと軍隊にあったと作者は述べている。

「大衆化・平準化は戦争によって加速され、戦後の社会へとつながっていった。その動きを、
高学歴兵士たちは、文字通り生身で体験したのである。旧制高校・帝大ルートに乗った、
当時の若い学歴エリートたちは財産的・経済的な意味での特権階級というより、
精神の貴族としての特権的共同体を形成していたが、帝国陸軍という平等あるいは不平等世界との
かかわりのなかで、彼らの正の面と負の面とがともにあぶりだされてしまったのだった」

貧しく学歴も低い人々も、帝大出の学士様もたとえば同じ二等兵として入隊する。
三食食えて寝場所もある。下々の人はなんて軍隊は平等なんだと思うし、
一方インテリゲンチャの学士様は内心忸怩たると思いというのか、不平等感を抱くだろう。
まして学のない上等兵に理不尽な命令をされた時などは。

学生がアルバイトをしてヘマすると、そこの古参社員や先輩アルバイトから鼻白まれて、
「だから学生はダメなんだ」とか「勉強はできるかもしれないが、社会は学校の勉強とは違うんだ」
とか、言われたりする。ぼくも似たような目にあった。
それと同様に、本書によれば、「高学歴兵士」は、さほど期待されていなかったそうだ。

ただし、戦前のほうが貧しくとも頭が良ければ、現在よりも「旧制高校・帝大ルート」という
エリートコースへ進む機会は多かったんじゃないかなとも思う。
だっていまどきの東大進学者の親の収入は、高額だそうだから。
生れついてのセパレートコースって気がする。

青白きインテリじゃなくて文武両道、オツムも良くて勇猛果敢な「高学歴兵士」は
いたことはいたそうだ。
んで「旧制高校・帝大」出身者は、
いま一度「精神の貴族としての特権的共同体を形成」を夢見ているとか。
パブリックスクールなどのようなエリート育成機関(虎の穴)。
いるんじゃない。MBIの資格取って外資で企業コンサルしている高給取りの人とか。
それが、ノブレス・オブリージェの本音なのだろうか。だとしたら、誤解していた。

「社会学者の内藤朝雄は『いじめの社会理論』のなかで「中間全体主義」という考え方を
提出している。要するに、学校や会社や町内会などの中間的共同体が個人に参加や献身を
強制するというかたちのファシズムなのだが、−略−先ほどから問題にしているリベラルな
インテリ層が戦争末期に下士官タイプの人間にいじめられるというものなのだ」

この箇所も実に首肯できる。
「中間的共同体」とは、サイレントマジョリティ、大衆のこと。
「中間全体主義」とは「赤信号みんなで渡ればこわくない」ってことか。
この層が、あたかもオセロゲームの如く、被害者、加害者と立場がころころ変わっていく。


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