折り返し

ネオ共産主義論 (光文社新書)

ネオ共産主義論 (光文社新書)

いまの重たい仕事を10月上旬までにケリをつけなければ。
話がもろかぶりのところがあって、それは最終段階で調整しよう。
折り返し点、通過したあたり。
予定では、入れ替わりに、その頃、やや重たい仕事が動き出す。
その予習もしなきゃならない。


うわさの「ねんきん特別便」が数日前に来たけど、
モレやヌケがなくてつまらない。
ぼくが勤めた4つの広告会社でいまも機能しているのは、1社だけだ。
ヤクザな稼業だなと思ったが、
たとえ一部上場企業に運良く入れたとしても
ずっと安泰とは限らないわけで。
だから手に職持ってると食(食う)に困らないって、
それ、鵜呑みにすりゃ儲かるのは、
専門学校や通信講座の会社ばかりなり。ってことか。


『ネオ共産主義論』的場昭弘著を読了。他の著作も読みたくなる
以下メモ。

「『共産党宣言』の中で、マルクスが最重要視しているのは、共産主義者であって、
共産党ではありません。同書に出てくる共産主義者は、国籍を超えた存在で、
共産主義の未来について確信はしているのですが、けっしてプロの政治家ではないのです」

「国籍を超えた存在」とは、トランス・ネーションってことで、
それこそ立て万国の労働者!だ。
また共産主義では官僚が執政を行うので、「プロの政治家」は要らないと。
これもなんか、実体は共産主義国家といわれる日本が具現化しているような。
で、「共産主義にはプロレタリア階級という、選ばれたる民族の意味を持つ階級があり、」
「そのことによって社会を変革する主体性を獲得する」そうだ。
んで、ネグリの唱える「マルチチュード」が共産主義の本来意味するものと近似値だと
作者は述べている。じゃあ、「マルチチュード」ってなんじゃらほい。
再び、作者の言説を引用。

「お互いに連帯することが喜びであり、またそれによって個々人の個性も
なくならずむしろ発展する関係にある、こうした主体がマルチチュードというわけです」

でも、それってある意味、ユートピアじゃね!?


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