脱依存

ヒロシマ独立論

ヒロシマ独立論

ヒロシマ独立論』東琢磨著、読了。

作者は、故郷広島を歩く。調べる。呉、広島市民球場、基町、海田…。
「平和都市」というレッテルに違和感を覚える。
なぜならそれは、中央、国家から貼られたものだからだ。

「「広島」が「ヒロシマ」となるまえは「廣島」であり、貧しいがゆえに、軍部への道を突き進み、
結果として原爆を招いてしまった。貧困や軍部の記憶も、原爆の記憶と共に封印され、「平和都市」
として生まれ変わる。そのかげで、軍部時代に形成された産業の在り方は、「復興」や
「高度経済成長の時代に強化され、現在まで続いている」」

「貧しいがゆえに、」移民者も多数輩出した。作者のルーツが沖縄にあり、沖縄と広島の共通項を
見出す。移民や、「ヒバクシャ」、戦争被害の象徴的な取り扱われ方など。しかし、それは、
どの地方とて、時間の堆積層を何層か掘り出せば、痛ましい戦争の傷痍は露呈する。
ぼくの母親は女学校時代、軍需工場で空襲に遭い、目の前で、何人もの同級生を失った。
もし、亡くなっていたら、ぼくは生まれてこなかった。

「クルマもいらない、道路もいらない。家電もいらない。欲望を遮断する、ささやかな<文化>。
「それでは、国力が落ちるだろ」。「そんなこと、私の知ったことではありません。勝手にやります。
国より何より、自分とそのささやかな生活の歓びが大事ですから」。そうした<私>を積み上げた
うえでの<公共>でなければ」、それはどこかプランテーション労働にも似ている」

国に依存するのではなく、独立、インデペンデンスな存在であるためには、
最低限楽しく生きていける程度のビンボーであればもういいじゃないか。安吾の「堕落論」ではないが。
物々交換とか非市場経済。後退してもかまわない。そんな覚悟というのか、決意というのか。
ヒロシマ独立論』は、ヒロシマだけでなく、地方の都市や町の精神的自立を訴えている。


作者は帰省して生家近辺に道路ができ、記憶していた風景が一変しており、驚いたそうだ。
これとて大方の地方出身者なら共感できる話。
数年前、高校まで通っていた町に数十年ぶりに下車したら、やはり、
以前にはなかった立派な道路ができており、胸中、複雑だった。
都市が再開発などで街殺しなどといわれるが、地方とて、むしろ地方の方が
歴史や文化を分断、寸断するような道路なり、なんなりができているのではないだろうか。
クルマが走らない道路は、不毛な現代を表わすインスタレーションに見えないこともないけれど。
町名変更とかも。

「(海田は)宿場町→牡蠣漁→軍事関連施設→自衛隊/マツダという歴史の重ね書きにくわえて、
マイノリティの歴史としては、在日からラティーノへと移り変わっている。多くの都市がそうで
あるように、エスニック・マイノリティも「集積」する。」
「海田地区は、1990年代からは、ブラジルやペルーからの出稼ぎ者が増え、現在、人口3万人の
安芸郡海田町だけで千人もの外国人が暮らしている」

フィリピン人看護師・介護士の受け入れは、来年に延びたが、
「エスニック・マイノリティ」との文化のチャンプルー化は、どうなるのだろう。


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