伝説を剥ぐ

エレクトラ―中上健次の生涯

エレクトラ―中上健次の生涯

あんなに暑くても冬はやっぱり寒くなるのかと思いつつ、
ワーキングルームへ。
印刷会社の出張校正室は、年末進行でタコ部屋状態なのだろうか。


エレクトラ高山文彦著を読む。中上健次の評伝なのだが、
関係者に取材を重ねて、伝説ではない中上像を追い求めている。


作家になるまでのことは、エッセイなどを読んだことがあるので、
ある程度知っていたが、
そうではない、裏側から見えるものに惹かれてしまう。


中上を作家にしたのは、自助努力もあるだろうが、それが最大なのだが、
河出書房と文藝春秋の編集者と柄谷行人の後ろ盾も大きかったことを知る。
ぼくが知る伝説の中上健次は豪放磊落な荒くれ男なのだが、
ビジュアルに反してナイーブだったそうだ。
ゴールデン街の武勇伝ももっぱら弱いヤツを相手にしたとか。


ともかく書いてはボツの凄まじい繰り返し。
ボツにする編集者も、またそれにめげず(時にはめげたようだが)
書き続ける中上の執念も凄まじい。


上京後、ジャズ喫茶に入り浸り、フーテンのような暮らしをしていても
創作は続けていた。ビンボー苦学生かと思ったら、
母親から潤沢な仕送りがあったそうだ。


同じ新宿エリアでジャズ喫茶のボーイとして働いていた
永山則夫の事件に衝動を受け、書かれた
『灰色のコカコーラ』、『十九歳の地図』以下初期の作品は、
大江健三郎の亜流と見なされていたらしい。
個人的には、そうは思わないが。アラン」・シリトーあたりかも。
やがて柄谷からフォークナーを知り、エリック・ホファーを紹介される。意外。
銃弾をぶっぱなす代わりに、
中上は仕事が終わってから、集計用紙に丸く小さい言葉の弾丸を放っていた。


出身地である紀州の被差別部落については、早い段階から小説にしていたそうだ。
そのタイトルが『エレクトラ』。
自宅の火事により原稿は焼失してしまったそうだ。残念。
しかし、まだ、小説にまとめるだけの力はなく、ボツとなる。
前述のフォークナー、ガルシア・マルケスなどの作家を知り、感化され、
実力を蓄え、『岬』、『枯木灘』以降の作品に結実する。
戦後生まれの初の芥川賞作家。日本文学の最後の継承者といわれた作家の46年間の生涯。


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