ゴースト

マルクスの亡霊たち―負債状況=国家、喪の作業、新しいインターナショナル

マルクスの亡霊たち―負債状況=国家、喪の作業、新しいインターナショナル

子どもは違う友だちと連日ボロ市へ。
なぜかボロ市になると寒くなる。
今年は(も)行かない。
図書館まで予約した本を引き取りに。
そっからすぐなんだけど、行かない。


マルクスの亡霊たち』ジャック・デリダ著を、ようやく読了。
独特の文学的修辞(で、いいんだろうか)が、わかったような、わからないような、
でも、刺さった箇所が、それなりに。少し引用。

「(1950年代の)終末論的テーマは、−略−われわれにとって
日々の糧であったということを」
「(それは、《歴史》の終焉、《人間》の終焉、《哲学の終焉》、ヘーゲル
マルクスニーチェハイデガー、さらにはコジェーヴによる遺言補足書、
そしてコジェーヴその人の遺言に対する補足書であった)」

ここに明記されたハイデガーコジェーヴ、さらにフロイトなど数多の人たちに
マルクスの霊が取り憑いていると。もとい影を投げかけていると。
「終焉」を「死んだ」に置換してもいい。
「神は死んだ」「ブログは死んだ」「Web2.0は死んだ」などなど。

「選挙による代表制あるいは議会生活は、つねにそうであったように、
数多くの社会的-経済的メカニズムによって歪められているだけでなく、
激変する公共空間のなかでますますうまく機能しなくなってきている」

日本の政治もそう。

「その激変は、技術-遠隔-メディア的諸装置および情報と通信との新しいリズム、
それらが代表している諸力の装置と速度、またさらには、したがって、それらが
発動する新しい我有化の諸様態、それらが生産する出来事の新しい構造と
その亡霊性の新しい構造、こうしたものによって引き起こされるものである」
「<生産する>というのは、そこにまだ存在しないながらも存在していたものを
発明するとともに白日のもとにもたらし、創設するとともに暴露し、
到来させると同時に照らし出すということである。
すなわち、ここで問題になっているのは、幽霊との関係における生産の概念である」


むつかしいけど、いないけどいる。不可視(Invisible)だけど可視(Visibie)。


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