父と息子

チェーホフ (岩波新書)

チェーホフ (岩波新書)

チェーホフ浦雅春著をつらつら読む。
チェーホフの作品に父親の存在が薄いのは、
幼少時代、実父がワンマンで厳しかったからだそうだ。
アダルトチルドレンで括ってしまうと、
40代以上の日本の男性はみなそうなってしまうおそれがあるので、決めつけはしない。
父親の商売も左前となり、兄弟の中で最も社会性のあったチェーホフは、
医学生のかたわら生活費のために、ペンネームで小説を書き飛ばす。
当初は、医者になって家族を養うことを考えていたそうだ。
ゆえに、ペンネームを使用していた。


この本によると、チェーホフは自分の感情を出さない人で、
多彩な作品もまるっきりのフィクションだったと。
でも、そうはいっても、創作には、作者の感情が不可欠で、
この先、作品を読み、年譜や時代背景を照合すれば、
本音はあぶり出されるのではないだろうか。
(あ、ぼくがやるとはいってません)


作者はここで父親殺しの説を取り上げる。
フロイトのエディプスコンプレックスの語源となったオイディプス王にはじまり、
巨人の星』から『エヴァンゲリオン』まで、
父と息子の葛藤は永遠不滅のテーマだったが、
どうも最近の父親は母親化してしまって、テーマになりづらいかも。
劣化したオヤジ壁が、逆に、我が息子の将来を勝手に悲観して巻き添え殺人が
多い気がしてならない。あくまで、主観。
ぼくは旧世代の人間なんで、父と息子の葛藤はあった。
冷戦状態が今も継続している。


はしがきを引用。

チェーホフの作品は「大きな物語」が崩れ去り、単一の意味をもてなくなった現代の姿を
一世紀前にも予示していた。「中心」を喪失し、「大きな物語」が崩壊した世界を
ありあわせの思想やイデオロギーで取り繕うのではなく、チェーホフはその解体していく
世界を冷徹にながめる眼と、あるかなきかの希望の声を聞き取る鋭い耳をもっていた」

ありゃりゃ、東浩紀著の『ゲーム的リアリズムの誕生』あたりと、なんだかもろかぶり。

「世界を冷徹にながめる眼」というのは、医学生、医師の眼なのか。
それとも生まれついてのものなのか。


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