持つもの、持たざるもの

昨日NHKスペシャル「激流中国 富人と農民工 」を見る。
中国は、すんげえ格差社会になっている。それは文字で知っていたけど、こうやって改めて映像で見せられると驚いてしまう。
中国の農村部じゃいい現金収入になるものがなくて、農民たちは都会へ出稼ぎに行く。
ここらあたりはかつての農閑期の東北地方からの出稼ぎ、季節労働者とイメージが重なるのだが、
一方リッチ層は金のニオイをぷんぷんさせている。


しつこいけど、『社会』市野川容孝著からの引用。ドンピシャなもので。

「「社会的」という言葉は、常に二重の意味をもっており、それは
平等へと向かう実践であると同時に、その出発点ともなる不平等、
しかも自然がではなく、人間自身が生み出す不平等の確認を私たちに迫る。
「社会的殺人」というエンゲルスの言葉に象徴されるように、それは悲痛な言葉でもある。
あるいは、松澤兼人が自分に言い聞かせたように、社会的という言葉は、人間が、たとえば
「階級」という形で互いに引き裂かれているという事実へと、あるいはそうであるとの
認識へと、私たちを覚醒させてしまうがゆえに、封じ込められなければならない」


金持ちは資産を拡大再生産して、さらに金太りしていく。
ビンボー人は負の遺産を拡大再生産、借金まみれになる。
共産主義国家でありながら、自由経済を標榜している中国って、
やはりものすごいねじれ現象になっているのでは。
しかし、ビンボーから脱却するために、親や大人の親族は総出で働き、子どもの学費を捻出する。
子どもは懸命に勉強してステップアップを志す。格差なんて嘆いている暇もなく。
「格差解消」ってのはやっぱりウソくさい。しかし、成り上がろうと努力する者に対しては、
そういう機会を平等に与えてくれる、それぐらいはなんとか融通を利かせてもらいたいと願う。


おまけ。
ばぶ太郎 ミクシィ読み逃げ
思わず笑ってしまった。ミクシィをやられている人は必見。字幕スーパーのセンスがバツグン。


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