視野狭窄?

昨夜依頼された修正原稿を朝イチに送る。どんなもんでしょう。
四谷へ打ち合わせに行く。食品のネーミング。
ネーミングも久しぶりにいただく仕事。すっかり、春の陽気だ。
渋谷で降りて桂花でターロー麺を食べて、
ガム噛みながらブックファーストに立ち寄る。
何冊か立ち読み、手ぶらで帰路に着く。
ついでにHMVを通り抜ける。
旭屋書店のあとにできたスロット店が閉店したようで
シャッターが降りていた。ここだけなんか取り残されたようでわびしい。


『会社コンプライアンス 内部統制の条件』伊藤真著で
「自分だけの、小さな社会化の弊害」という章が気になっている。
ええと引用する。

引用-1
「本来、個人は社会の一員であり、さらには日本の一部であり、地球の一部である。
つま生きとし生けるものの一部です。そういう世の中の一部だという全体感が薄くなって、
自分のことしか考えないことで、世界を狭くしてしまっているのです」

引用-2
「情報化、グローバル化と言われ、視野を広げるべき時代に、実は極めて限られた
世界、社会でしか情報や価値感を得られていない人が増えているように思われます。
インターネットは世界中どこにもつながりますが、自分で意識しないと、限られた価値観の
情報だけが集まり、さらに深く入り込む。世界観を広げるインターネットが、逆に世界観や
価値観を狭めてしまう、視野狭窄に陥らせる道具となってしまうのです」


最初は納得したんだけど、いや待てよと、時間が経緯するにつれ、反駁の気持ちが強くなってきた。
著者の批判は、引用-1の場合は、タコツボ型のシマ宇宙にひきこもって出て来ないきみたち、
ガイア、地球生命圏という連帯意識を共有しようぜということと、
引用-2は、メディアリテラシーを各自持とうぜということで、言いたいことはよくわかる。
間違ってないとは思うけど、なんかすっきりしない。


だってa.スモール・ネットワークとb.スモール・サークル・オブ・フレンズ、
aとb、換言すればオンラインとオフラインを自分サイズに
編み上げてぼくたちは生活してる、生きてるわけだ。
いまだ会ったことのない人たちのブログを読んで、共感すればカキコミして、
知り合いの知り合いと知り合って、交遊が広がったり、仕事が派生したり。
それはそれなりに結構楽しかったりして。
ブロードバンドのナローワールド化現象。と、青臭いことを書いてみる。


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