だらだらと

BRUTUS (ブルータス) 2007年 3/15号 [雑誌]

BRUTUS (ブルータス) 2007年 3/15号 [雑誌]

気分転換に午後から自転車で最寄の大きな書店に出かける。
久しぶりに『BRUTUS』を買う。コーヒー特集なもんで。
豆、店からステンレスポットのカッコいいコーヒーメーカーが
出ていたから。そろそろうちのが寿命なもので。
コーヒーが煮つまらないからいいよ。
ついでに『一冊の本』をもらう。ついでに『論座』を立ち読みする。


論座』は、団塊ジュニア世代に生まれたばっかりに、
失われた10年の真っ只中に新卒期を迎え、
就職先も少なくて、運悪く正社員になれなかった私憤を
いつまでも恨むんじゃねえよ的コメントがあって、
やっぱりな。まんまと落とし穴にはまったようで。
みんなの私憤は公憤(造語)になるわけで、運不運じゃなくて精神論じゃなくて、さ。と思う。
でも、ぼくとて、たぶん、精神論になってしまうしなあ。


なぜ『一冊の本』を入手したかというと、
「歩行と記憶」で、
『一冊の本』の金井美恵子の連載エッセイの中で
モギケンに噛みついていることをkuriyamaさんに教えてもらったから。
悪口いうのが、何よりの脳トレみたいだし。
モギ先生の元原稿の引用箇所から判断すると、
アカデミックな知というものに対してノスタルジーを抱いているようで、
そのエリート意識のようなもの、特に「知性=セクシー」が癪にさわったようだ。


知的でセクシー、そういう人は滅多にいないし、
いたとしても自分じゃセクシーだなんて思っていないだろうし。
いずれにせよ、アカデミックな教養人は絶滅種らしく、セクシーでなくても、
もはや人間国宝として扱わなければならないようだ。


落語家と大学の先生はよく似たヒエラルキー社会だ。
派閥があって、師弟制度があって、
いつの時代も上がつかえていて、若いうちに専門分野、あるいは異分野で
芽が出ようものなら、ロートル恩師が潰しにかかる。
ぼくの大学時代の同級生も教授になるまでは長いこと、かかったようだ。
このあたりは筒井康隆の『文学部只野教授』などからの請売りと一部妄想なんで
事実誤認があっても戯言と一笑に付してほしい。


先だって某私立大学の学長にインタビューしてきたが、
いみじくもこれからは社会人からの講師・教授の登用を積極的に
展開していきたいと述べられていた。
理系・文系を問わず生き残りをかけた大学ではこの傾向が強いようだ。
何やら量販店の目玉商品のようだけど。


どうも旧来の象牙の塔の知性の旗色が悪いようだ。
企業の現場などで鍛えられた知識を学問に活用する、実学、
これがいまどきの学生にもその親たちにもウケがいいようだ。
なんか専門学校化している。専門学校ならまだしも学習塾化だったりして。
即戦力ねえ。WordやExcelが使えるのが即戦力だとは思わないんだけど。


飢えた子の前で有効でなくても、やがて応用力や展開力につながるもの、
叡智(仮)とかそういうものを若い人にはかじらせておかなきゃって個人的意見。


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