人間だモノ

モノ・サピエンス 物質化・単一化していく人類 (光文社新書)

モノ・サピエンス 物質化・単一化していく人類 (光文社新書)

明け方、向かいの家が雨戸を開ける音が聞える。6時だ。起きなきゃ。
いつもより音が静かでおかしいなと思いつつ、二階から下りて
時計を見たら午前5時だった。1時間、間違えた。
寝直すのもなんだし、ガスファンヒーターをつけて、
ミルクティーを飲みながら、昨夜の続き、Webのツリーを考える。
系統樹だな、これも。
テキストを書くよりも構成や章立て、台割を考えるほうが好きかも。


『モノ・サピエンス』岡本裕一朗著、読了。
人間は「モノ化」して消耗品扱いになってしまった。
それを「「使い捨て」時代」と作者は称している。
もうなにもかも「モノ化」してしまった。
「ほら!」といって、ブランド、からだ、労働、命、思考、遺伝子、社会と
どのように「モノ化」してしまったかを挙げている。
消費者と呼ばれる人間が消費され、最後には捨てられるというのは、
別段そんな目新しいことではないだろう。
単なる言葉の修辞かもしれないが、
肉体と肉。「体」があるなしでイメージは随分異なる。
肉体というと人間の生身の身体を思い浮かべるが、
肉というと、屠殺された物質=モノ、部分を連想する。
バラバラ事件が連続して起こるのも、
対象物が「モノ」にしか見えないからなのだろう。


作者は当節の風潮、時代の流れに対してさまざまなクールな反証をしている。
たとえば、「遺伝子操作などのバイオテクノロジーに対して
反対論者が錦の御旗としている「人間の尊厳」。
これとて、突き詰めていくと、その「概念の曖昧さ」に堂々巡りをしてしまうと。

「人々が「自由」を追求すれば、「平等性」が脅かされ「格差」が拡大するだけでなく、
社会的な「規範」や「道徳」も崩壊し、ひいては人々の「管理」が
強化されることになるわけです」

あちら立てれば、こちら立たず。
作者のいう「人間のモノ化(物質化・均質化)」って
森岡正博のいうところの「無痛文明論」にもあるいは東浩紀の「動物化」とも
近似値だともぼくには思える。
この本を読んでいて『ガタカ』という映画を思い出した。


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