なんとなく、なんとなく

現代思想2006年12月 特集=自立を強いられる社会

現代思想2006年12月 特集=自立を強いられる社会

午前中、原稿を出力してから、手を入れる。
プリントアウトはめんどくさいが、やはり、紙で見ないと、ダメなんだ。
画面越しだと、ついチェックが甘くなってしまうんで。
アナログ人間の哀しき性ってとこで。
午後からざっと床や階段の拭き掃除とガラス磨き。
パソコン内の不要となったメールやメルマガの削除や
ファイルのバックアップは、なんとなくで完了。


『現代思想12月号』をなんとなくペラペラめくる。
特集は「自立を強いられる社会」。
昨今流行の自立支援はいいからベーシック・インカムしてくれと。
支援するなら生きるための金をくれ。
フリーターの月収よりも高い生活保護費が問題になっているが、
認定されるまでのいわば非-人間的な扱いは、どうなんだろう。
あんたら公務員は、国民へ奉仕して、
その代償を税金からのギャランティーとして禄を食んでいるんだろうが。


「分類の拒否」堅田香緒里+山森亮の論考の最後に掲出されていたものを
長いけど、一部引用。シビレますた。

ベーシック・インカム宣言


人の命は大事だと誰もがいう。であるなら、お金が無いために人の命が
奪われることはあってはならない。
そうした合意の上に、社会権や憲法二十五条だとか、
福祉国家というものが築かれたはずだった。
ところが実際に行われたことは、人の命の等級付けであり、
低く見積もられた命の廃棄であった。
そうした分類の政治、廃棄の政治を拒否する。
当たり前の、本当に慎ましい要求は、ベーシック・インカムである。
全ての人が、その生を営むのに必要なお金を無条件で保障されなくてはならない。
生きていくことは支払われることに値する。
市民としての義務は、生きることが保障されなくては、果たしようがない。
「衣食足りて礼節を知る」とはそういうことだ。
−略−
これまで分け前を用意されてこなかった、非正規労働者も、野宿者も、学生も、
女も、子どもも、外国人も、ベーシック・インカムを当たり前に要求してゆくこと、
分け前なき者がその分け前を登録し、そこに不和を生じさせること。
ベーシック・インカムの要求は、それゆえに、政治を私たちの手に取り戻すことなのである」


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