取りあえず

月光・暮坂 小島信夫後期作品集 (講談社文芸文庫)

月光・暮坂 小島信夫後期作品集 (講談社文芸文庫)


来週の昼間の半分ほどが取材と移動に費やされるので、前倒しで仕事。
午前中、注文していた結婚記念日用の花が大量に届く。
家にあるめぼしい花器に花卉を生ける妻の手伝いをする。


午後からは浦和レッズ×ガンバ大阪の試合を見つつ
『月光 暮坂 小島信夫後期作品集』小島信夫著の残りを読みつつ。
レッズ、優勝おめでとう。
ガンバは大事な終盤期での遠藤の肝炎によるリタイアが痛かった。


『月光 暮坂 小島信夫後期作品集』の山崎勉の解説が秀逸。
「「取りあえず」の文学」ってタイトル。

「「取りあえず」最初に思いついたことから書き始める。それを書き終えると、あるいは書いている
最中にそれが引き金になって経験知の総和から別の想念が浮かび上がる、それを
追っていくうちにまた別の、時には予想もしなかった想念が浮かび上がり、それを急いで書き留める、
といった行為の連続体、それが小説なのである」

開高健がよくいっていた「小説は小さな説なんや」にも通じるのでは。
いつものようにこの本の作品も、
どれもみな「取りあえず」はじまり、「取りあえず」終わっている。
ヤオイっちゃあヤオイなんだけど、でも、惹かれてしまう。
「取りあえず」ぐらいで向かったほうがいい結果が生まれることが多い。
でも、口外はあまりしないほうがいいだろう。


『暮坂』という作品の中で、小西甚一の『日本文学史』を引用するところが、興味を覚えた。

「日本人の精神というのは、もともと自然との間に分裂をもたず、日本語は、常に
「つながり」の表現をめざしている、というのです。ところが、これに対して、
シナ(原文ママ 註オレ以下略)では、精神と自然がふかく切断されているばかりでなく、
その言語も、音声的および意味的にぷつぷつと切れがちである」
杜甫の場合は、同じシナの中においても一風変わっている。それは切断されながらも
ふかく融合している表現なのである」
芭蕉は鋭い切断を秘めておる」
「切断と融合。で、流れ合い、匂い合っている−略−(このことは)小説にも生き」ている。


人気blogランキングへ