『悪魔に仕える牧師』って誰?

 

 

 

 

『悪魔に仕える牧師』リチャード・ドーキンス、読了。

 

タイトルは、「ダーウィンが『進化論』を発表したら、
『悪魔に仕える牧師』」といわれ、何されるかわからないから、
なかなか『種の起源』を出せなかったことにちなんでつけたそうだ。

まごまごしていたら、進化に関してほぼ同じアルフレッド・ウォーレスに
先を越されていたかもしれない。

 

作者の初エッセイ集。「入門に最適」みたいなウリ文句を版元はしているが、
この本よりは『利己的な遺伝子』を読んだほうが、いいと思う。
エッセイつったって軽くない。独特の毒もあるし。

 

読んだばっかなんで、まだまとまってないけど、
いちばん意外だったのは、誰もが論敵とみなす
同世代スティーブン・J・グールドとの意外な交流。
グールドが亡くなったこともあり、そのあたりを
コクってしまったのかもしれない。

 

互いに互いを著作で批判するのが、マニアにはたまらなくて、
てっきり口をきかない仲だと思ったのに、メールのやりとりをしていたとは。
最後のメールが泣かせるんだけど。
(こんなこと書いても、興味のある人以外にはつまらんだろうね)。

 

遺伝子がタテ軸(親→子→孫)と受け継がれるに対して、
ドーキンスが唱えている「ミーム」はヨコ軸といえばいいんだろうか。
文化ウィルスね。獲得形質、ネットワーク、流行、創発ナレッジマネジメント
モジュールとかそういうヤツ。

 

人間はミームによって人間たらしめてきたと(このあたりがビミョーなのだが)。

ミーム」は、わかるんだけど、「クオリア」は個ベースだよね。
その個と個の共通感覚、伝播する乗り物がミームなのかなと。

 

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マゾッホとは思えないほどのハッピーエンドやほのぼのとした話もある

 

 

ユダヤ人の生活―マゾッホ短編小説集』 L・V・ザッハー=マゾッホ著  中澤 英雄訳を読む。

 

昔、ロンドンで山高帽に長いアゴヒゲ、黒ずくめの男性集団を見かけた。異様に思えたが、ユダヤ教のラビだと後で知った。

 

マゾッホがリスペクトするユダヤ人(イスラエル人とも表記している)の根底を成すユダヤ教に基づく独自の文化や風習を記した16篇の短篇集。ノンフィクションとも思えるようなリアルな作品。原注と訳注が豊富で助かった。でないと、ほんとに分からない。

 

作者はこう述べている。

イスラエル民族は最古の文化民族であるばかりでなく、今日のヨーロッパの、人倫の高度な段階に到達した教養ある諸民族でもあるのだ。それは、もっとも純粋な神信仰と、もっとも優れた道徳と、もっとも穏やかな生活風習を持ち、人間の知識のあらゆる領域において、もっとも活発な活動を展開してきた民族なのである」

 

この本が書かれた「19世紀末ヨーロッパでは、反ユダヤ主義が高まりつつあった」。
その風潮に対してこう書いている。

 

「他の民族のイスラエル民族に対する憎悪は、インディアンの白人猟師に対する憎悪や、野蛮人の文明人に対する憎悪と同類なのである」

 

イスラエルが建国されるまで「国を持たない民族」であったユダヤ人」たちのユダヤ人街(ゲットー)などヨーロッパ各国での暮しが物語になっている。


マゾッホとは思えないほどのハッピーエンドやほのぼのとした話もある。意外でしょ?

3篇紹介。3篇とも結婚の話になってしまったが。

 

『ホルトの製本屋 ハンガリーの物語』
ハンガリーのとある村に「ジムカ・カリマンという名のユダヤ人が製本屋」を開いていた。本好きだったが、貧乏だったので本が買えず、製本を依頼されたさまざまなジャンルの本を読むことにしていた。製本代は決まっていたが、装丁は彼の判断で行っていた。

彼にはもう一つの仕事があった。「恋文の代筆屋」。なかなか文才があるらしく、彼の代筆は評判が良かった。彼の代筆で結婚に至ったカップルが何組もいた。

 

『美男のカーレプ ボヘミアの物語』
次男坊のカーレプはちやほやされて育った。ルックスにも自信があって周囲のユダヤ人から「美男のカーレプ」というあだ名をつけられた。
金持ちで美人の娘との結婚を夢見ていた。結婚仲介業者トライテルが結婚相手を探すと言うが、断る。トライテルに足が曲がっていることを指摘される。足を隠す衣装をまとうカーレプ。借金で派手な生活をしていたが、もう限界。再び現れたトライテル。彼の申し出にすがることにする。
結婚を半ば諦めた金持ちの孫娘がいる。人間がムリならイケメンのゴーレム(人造人間)でもよい。カーレプはゴーレムになりすます。孫娘のイェンタは彼よりも背が高かった。で、カーレプはシークレットシューズ&山高帽で対応する。割れ鍋に綴じ蓋?二人は幸福な結婚生活を送る。

 

『偽ターラー銀貨 南ドイツの物語』
マルティン・フリードリープは「町一番の金持ちで玩具工場」を持っていた。ところが、大学教授になるため長期の勉強と旅行で財産を使い果たす。
メルティンは芸術に造詣の深いジンデル夫人を訪ねる。そこで娘のデボラと出会う。お互いに一目ぼれ。夫人は二人の結婚に賛成だが、父親のジンデルはいまや文無しのマルティンの将来を不安視する。そしてマルティンに手切れ金として1万マルクを提供すると。躊躇するが、デボラも受け取ることをすすめる。
その直後、ジンデル家へ来たマルティン。1万マルクはターラー銀貨でもらったのだが、偽貨だった。ジンデルはマルティンを試していたのだ。二人の結婚は認められる。

 

参照

encyclopedia.ushmm.org


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「灰色の脳細胞」を持つカイゼル髭のベルギー人

 

 

ポアロ登場』アガサ・クリスティー著 真崎義博訳を読む。

 

「名探偵エルキュール・ポアロ」の短篇集。ハンプティ・ダンプティのような体躯の小男のベルギー人。滔々と自慢げに事件の謎や真犯人について口角泡を飛ばす。カイゼル髭もますますエラそうに見える。キャラは最初からこうだった。
助手のヘイスティングス大尉は、事ある度にポアロからお小言を頂戴する。でも、「灰色の脳細胞」の持ち主は、推理は天才でも物言いや行動は常人では理解できないところがあって相棒ヘイスティングスの存在なくして名声は得られなかっただろう。
船酔いするので旅行は嫌い。投資は嫌い。スーツが汚れるので現地調査は嫌い。

不遜、傲岸。誰かに似ている。ああ、「名探偵コナン」だ。禿ずらにつけ髭で「私はベルギー人です、マドモアゼル」とかセリフを吐いてもらいたいもんだ。
14の短編は、ヘイスティングスが書き記した事件簿スタイル。その中から5篇、短くあらすじなり、感想なりを。


『安アパート事件』
ヘイスティングスの友人の知人・女性が一等地ナイトブリッジに格安のアパートを見つけたという。「幽霊屋敷」などの事故物件ではなさそうだ。なぜ?そこにスパイの暗躍が絡んでくる。「灰色の脳細胞」が謎を解く。格安のアパートには理由がある、ご注意を。

 

『エジプト墳墓の謎』
ツタンカーメンの呪い」と同様な事件が起こる。「メンハーラ王墳墓の発見と発掘につづく一連の謎めいた死に関する調査」でポアロヘイスティングスはエジプトへ。苦手な「4日間の船旅」でポアロは、憔悴。ヘイスティングスはエキゾチックなエジプトに魅了されるが、ポアロは砂漠の砂が磨き上げた靴に入るのが気に入らない。彼は呪いや魔法の裏にある真相を科学的に明らかにしていく。1920年代のイギリスでのエジプトブームがうかがえる作品。


『首相誘拐事件』
時のイギリス首相が誘拐された。下院議長たちから首相を探してほしいと。しかも連合国会議が開催される明日までに。ポアロヘイスティングスは、ポアロの知り合い・スコットランドヤードの敏腕刑事ジャップと渡仏する。寝台列車から苦手な船でドーヴァー海峡を渡る。着くや否やイギリスへ戻る。首相は見つかるのか。見つかるさ、彼は事件のカラクリを早々とお見通しだったとさ。

 

『謎の遺言書』
ミス・ヴァイオレット・マーシュは伯父の遺言書の件でポアロを訪ねる。それは奇妙な遺言で運よく隠された遺言書を見つけたら遺産は彼女が相続。ところが、見つからなかった場合は全遺産を「慈善団体に寄付する」と。宝さがしならぬ遺言書さがし。うまいところに隠したのだが、なんとか隠し場所を突き止める名探偵。お茶の子さいさいって顔をして。

 

『チョコレートの箱』
「ベルギー警察の刑事課」に所属していたポアロ。フランスの前途を望まれていた代議士が亡くなる。「自然死」とされたが、殺人ではないかと捜査を個人的に依頼される。解決の決め手は「チョコレートの箱」。失敗談なのだが、反省などはせず。


この本は新訳だそうで、旧訳よりもハードボイルドっぽくなっているそうだ。次はポアロの長篇を。


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雨降りだから『ロリータ』でも読んでみよう

 

 

憂鬱な梅雨。『ロリータ』ウラジミール・ナボコフ著 若島正訳を読んだ。

そう、ロリータ・コンプレックスロリコンの語源となった作品。
この言葉だけが独り歩きしているが、
先日も渋谷で久々にロリータちゃんを見た。しかも高身長。

 

実際のところは、屈折と格調の高さと審美眼などが渾然一体となって
えもいわれぬ実に複雑な味わいの小説。

 

パリからアメリカにやってきた主人公の言い訳がましさは、
そうさな、ウッディ・アレンの演ずる映画を思わせる。

 

中年男が妖精的、小悪魔的小娘に魅了され、二人っきりで旅に出る。
まことにうらやましくあり、かつ、怪しからん内容なんだけど、
単なるロードノベルじゃなくて、込み入った構造にしてあり、
馥郁たる文学の香りがぷんぷんしている。

 

言葉の持つ奔放なイマジネーションを感じさせるのは、訳者のうまさなのだろうか。
それとも読み手の単なる志向にあったという思い入れのみなのか。はてさて。

 

下宿先の娘である美少女に魂を奪われたフランスからやって来たインテリ男の破滅へのクライム・ノベル+α。+αの部分が、通俗小説から純文学へと昇華させている。
デヴィッド・リンチの映画のようなのでもあるよ、後半は。
ゆえに彼が監督で映画化してもらいたものだと勝手に思い込む。

 

訳者あとがきを読んでいて植草甚一がエッセイの中でナボコフをよく取り上げていたことを思い出した。どうしていままで読まなかったんだろう。でも、いま読んだからこそ、おもろいということはあり。


ついでに書くなら、訳者は、新訳するにあたり、ロシア語版まで参考にしたとか。
やはり母国語であるロシア語の方が第二外国語(たぶん)の英語よりは当然得意だものね。じゃあついでにロシア語版『ロリータ』も日本語で翻訳したらどう違うのだろうか。興味がある。

 

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緑色の髪の少女

 

 

新井素子SF&ファンタジーコレクション 1』新井素子著 日下三蔵編を読む。

 

『甘美で甘いキス 吸血鬼コンピレーション』に収められた『ここを出たら』が新井素子、初読。いいね!と思ったんで、まずは初期作品のアンソロジーを読んでみた。

 

いつか猫になる日まで
宇宙人同士が地球でもめ出す。そんなトラブルに巻き込まれた超能力を持った若者たち。彼らは石神井公園でUFOを見つける。
UFOに入って宇宙人と第一種接近遭遇する。なぜ彼らは戦争をしなければならないのか。若者たちと宇宙人の交流をポップにユーモラスの描いている。みずみずしいなあ。どう言えばいいんだろう。『うる星やつら』のワチャワチャ感につながるような。
この作品は、読まないで抱いていた著者のイメージに近い。
読後感が『となりのヨンヒさん』チョン・ソヨン著などの韓国の女性SF作家の作風にも似ている気がする。しかし、作者19歳のときの作品とは。

 

グリーン・レクイエム
嶋村信彦は子どものときに入山を禁じられていた裏山に入る。そこには古い洋館がありピアノの音が聞こえた。そこで出会った緑色の髪の少女・明日香を忘れることができなかった。大学で植物学者の助手となった彼は喫茶店でピアノを弾く三沢明日香を知る。名前も風貌も似ている。実は明日香だったのだ。

信彦が偶然見つけた洋館の持ち主は岡田という「植物学の権威」。彼の大学でも教鞭をとっていた。岡田は「光合成できる人間」の研究をしていた。彼女には秘密があった。彼女はで光合成できる植物人間に改造されたのかと思ったら、そうではなかった。彼女は異星人だった。しかも進化した植物系。異星人が地球の植物に悪影響を及ぼすおそれが。
教授たちは研究材料として明日香を生け捕りにしようとする。断固阻止する信彦。切ないまでの禁じられた愛。明日香は自殺してしまう。深い悲しみが信彦を襲う。

 

緑幻想
グリーン・レクイエム』の続篇つーか後日譚。行方不明となった信彦、明日香の姉的存在の夢子、松崎教授たちは呼ばれるように明日香の死の真相を求めて屋久島へ行く。そびえ立つ縄文杉。亡くなったと思われた明日香だったが、生きていた。しかも、その形は。彼女は世界樹?
宇宙船のコックピットで見た目は植物でその上超能力を持った「知的生命体」が宇宙船を操縦している図は、想像するだにシュール。めっちゃSFですやん。
悲恋物SFとしてまったく古びていない。脳内には大林宜彦監督の映像らしきものがずっと投影されていた。

 

なぜ作者のあとがきをすべて載せるのか。面白いからだ。この軽妙さ。

さらに、あとがきと編者解説に書かれている著者と編者の若かりし頃の出会いが素晴らしい。剣豪同士が気配だけで「お主できるな」的ものを感じたというのか。同じにおいを感じたというのか。そっか。新井素子氷室冴子の出現でコバルト文庫は覚醒したんだ。

 

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足止めを食らった旅人たちへ

 

 

『四分の一世界旅行記』 石川宗生著を読む。

作者のことだから何か古い偽旅行記を読んでいるうちに
その時代にタイムトラベルしてしまう、そんな奇想小説をイメージして読み始めた。
あれれ、ガチ旅行記だった。

 

作者の趣味は粘土(何のこっちゃ)とバックパッカー
これまで世界各地をバックパックで訪れたそうだ。

 

旅行記というといまだに沢木耕太郎の『深夜特急』が、なう、らしい。
ぼくもわくわくしながら読んだもんさ。
ところがスマートフォン、インンターネット、クレジットカードなどの普及で
貧乏バックパッカーの旅は無謀さ、危険度が低くなったとか。

 

とはいえ、外国への一人旅は、それこそ自己責任、自己判断。つってもお気楽。
一度はまると中毒になるようだ。だってすべてがリアル体験だもんね。

片言英語が通じたときのうれしさ。
映像や画像ではない生の風景。
ハプニングやアクシデントや差別や理不尽な目に遭いながらも、
日本に戻ってしばらくすると漂泊の念にかられる。
旅をしているときのオレが本来のオレだとか。


この本で書かれている旅は「2017年」。主に中央アジアからトルコ、ギリシャ、東欧と
約6ヵ月かけて世界の「四分の一」を巡る。

旅で知り合った人々や宿の人たちとの交流がユーモラスに描かれている。

トルコの宿で出会った男を勝手に「ブコウスキー」と呼んだり。
彼に旅の詩「メテオラでいちばんの美女」をつくらせているが、
ブコウスキーパスティーシュになっていれクスッとした。

アルメニアは美女しかいないとか。
ジョージア(旧国名グルジア)の料理はうまそうだとか。

セルヴィア・レスコヴァッツでクストリッツァ監督の音楽ライブに行くが、
チケットはソールドアウト。ところがあしながおじさんが現れて。

 

日本人の女子のバックパッカーも登場している。
経歴は異なるが、みんな元気で魅力的。いやはや男子など足元にも及ばぬくらい度胸も社会性もある。

 

行く先々にある世界遺産。ほんとゴロゴロしているんだね。

 

巻末の「特別対談 宮内悠介×石川宗生」も楽しい。
インドの印象。
「石川 インドでは騙そうとする人にたびたび出会って、そのときは「二度と来るか!」と思うんだけど、五年くらいすると忘れてしまうんですねよね。結果、めぐりめぐってまた行っちゃう(笑)」
「宮内 ―略―話しかけてくる人は、まあ、だいたい騙しにかかってくる人ですよね」

コロナ禍で海外旅行は難しいので、この本を読んで行った気分に浸ろう。

 

忘れていた。各章のタイトルが名作のオマージュになっている。
たとえば「パスポートナンバーTK49494949の叫び」。
モトネタはわかるよね?

 

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見えない壁、壁を壊しても新たにつくられる心の壁

 

 

『<日本人>の境界―沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで。』小熊英二著を読む。作者の博士論文だったそうで、例によって部厚く、重たいが、中身も負けていない。

 

以下、感想。

 

○北海道、沖縄、朝鮮、台湾など日本人化政策に携わった者の多くが東北出身者だったということ。国政の重要なポストは元官軍が独占して、元賊軍でも優秀な人物はこのような末端の要職に抜擢された。新渡戸稲造後藤新平原敬などなど。要するに占領された屈辱の体験、トラウマのある人々が植民地政策を遂行するとは一種のダブルバインドのようなものである。知ってかどうかは知らないが。

 

○アジアの同朋であるゆえに欧米列強型の植民地政策ではなく、彼らは独自の政策を模索した。清教徒がイギリスから追われメイフラワー号に乗って新天地アメリカを求めたようなものだろうか。その心情というのか機微を作者は資料から読み解いているのだが、困難な作業のおかげで読み手は知ることができ、大変ありがたい。しかし、ま、それは最初から矛盾していたわけで、ついには第二次世界大戦を迎え、あのようなことになってしまった。

 

民芸運動の提唱者の一人、柳宗悦が朝鮮美術や沖縄美術に対して、独自の古来の優れた文化を守るべきだといったが、後に韓国から批判され、地元沖縄からは猛反発を喰らったエピソードは、考えさせられるものがあった。要するに先進国の学者かなんかが未開(といわれる)国のアートに感嘆し、賛辞するが、その姿勢には何か上から目線的なものがないのか。全くないとはいえないだろう。西洋から東洋への回帰、東洋を称えることと民族主義が実は同床ではないか。微妙なところ。

 

○日本は少子化を迎え、本格的に外国人労働者に頼らなければならないことは周知の事実だ。日本は島国で単一民族国家という幻想を捨てきれないでいる。いまだにムラ社会ともいわれるが、この本を読むと、是非は別にして、そうでなかった時代が束の間、あったことを知らされる。近い将来、外国人労働者、移民に対してぼくたちはどのように接して、国はどのような政策を打ち出すのか。かつてのような「日本人化」を進めるのか。ボーダレスというと聞えはいいが、それは互いのアイデンティティを認めた上に成り立つものである。実際のところは、ボーダーは以前にも増して方々でできている気がする。

 

戦後の沖縄のネジレについての章から歴史学者石母田正に関するものを引用。

「石母田は1960年の沖縄論で、戦前の日本がいかに沖縄を差別したかを批判し、「県民が、もうふたたび日本人でありたくないといっても不思議ではない」と述べている。だが同時に彼は、「それにもかかわらず沖縄県民が、「米軍の」弾圧にめげずに祖国復帰を叫んでいるのは、自分たちの民族意識が、それが過去の民族主義に利用されている時代とちがって、民主主義的要求と結びついた新しい民族意識だという自信があるからである」と主張した。そして、日本はドイツとおなじく分断国家であるにもかかわらず、本土側が沖縄に無関心であることを批判し、「琉球という語は、封建的な判独立的な過去の沖縄を代表しているのにたいして、沖縄は日本の一部としての近代的な沖縄を代表している」と書いたのである」

〇日本のようで日本でない沖縄が、アメリカに占領され、民主主義を期待したが、
状況はヤマトンチューの支配下時代よりも劣悪となり、
究極の最悪の選択として日本への復帰、本土並み返還を望んだ。
この転換の経緯を知っただけでも収穫だ。

 

「植民地」東北出身者である石母田。

「「天皇制絶対主義による封建的東北の征服と支配がいかに過酷なものであったにせよ…維新後、東北が封建的孤立を脱して、統一的な日本国民の形成という大きな進的な運動にまきこまれたことは、いうまでもなく東北を解放するための条件をつくりだし、促進した点だけでも偉大な歴史の進展であります」と言い、「東京方言が全国の標準語となることは…孤立割拠していた封建的日本を一つの国民に形成するために必要な条件であります」と主張したのだった。彼が沖縄に示した見解は、この延長であったにすぎない」

 

 〇『國語元年』井上ひさしを昔NHKドラマで見て、標準語の成り立ちを知ったけども。
そうだ、井上ひさしの『吉里吉里人』は、東北の村が日本から独立する話だった。

 

〇沖縄・辺野古の新基地建設や東北の福島第一原子力発電所事故などの対応を見ても
根底はちっとも変わっていないなあ。

 

とまれ、どこまでも、いつでも、作者は心憎いまでのクールでロジカルな人である。

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