『肥満男子の身体表象: アウグスティヌスからベーブ・ルースまで』 サンダー・L. ギルマン著 小川 公代 訳 小澤 央 訳を読む。
いまや肥満というと女性の気になる最上位のテーマだが、この本によると実はその前は男性にとって肥満は気になるテーマだったそうな。
健康診断でおなじみのBMI値。ぼくも気になる数値だが。
管理職がメタボおじさんだと特に欧米では、セルフコントロールができないヤツとみなされるとか。自分がきちんと管理できないのに、部下の管理なんてできるのかと思われるらしい。恰幅のいい部長の腹芸とかは、もはや通じなくなったのか。
なぜ太るのか。簡単に言えば消費エネルギーよりも摂取エネルギーの方が優っているからだ。単純すぎるか。
この本ではさまざまな分野での「肥満男子(ファット・ボーイズ)」を取り上げ、その存在を考察する。
歴史で見ると。
古代ギリシャでは「肥満は醜悪だった」と。そりゃそうだろ、オリンピック発祥の地だもの。「ローマ時代初期の医学もまた肥満を病気であると見なした」
「19世紀以降、糖尿病は肥満の人々の病気と考えられてきた。―略―ユダヤ人の糖尿病患者の増加が目立つようになったことから、ユダヤ人が肥満体質を彷彿とさせるようになった」
痩せている人も糖尿病になるし。
文学や音楽から見ると。
「セルバンテスの『ドン・キホーテ』に出て来る召使いサンチョ・パンサ」は紛れもなく「肥満男子(ファット・ボーイズ)」の一人。
オペラではヴェルディの「フォルスタッフ」。原作はウィリアム・シェイクスピアの喜劇『ウィンザーの陽気な女房たち』。オーソン・ウェルズが扮した「フォルスタッフ」。ぴったしかんかん。
「彼は、すべての老いた男を象徴するのではなく、(肥満が)病的な症例、つまり、腐敗しつつある老いた男を表象するのである」
「肥満探偵」の場合
肥満=鈍感、痩身=機敏というイメージがあるが、なら「肥満探偵」の場合は。
たとえばTVドラマ『心理探偵フィッツ』。マンチェスターの大学で臨床心理学を教えるエドワード・フィッツジェラルド博士。演じたのは、ロビー・コルトレーン。『ハリー・ポッター』シリーズのハグリッド役といった方がわかるかも。
「肥満探偵」は、「サム・スペードのようなハードボイルド探偵より女性的」に見えると。
シャーロック・ホームズには兄マイクロフトがいた。しかも弟より推理が優れていたと。だけど「肥満男子(ファット・ボーイズ)」だった。推理では勝るが行動力では断然ホームズに劣ると。ホームズは痩身つーかコカイン中毒あるいは腺病質で太れないのか。
レックス・スタウトが書いた探偵ネロ・ウルフもまた「肥満男子(ファット・ボーイズ)」だ。
さらに、レイモンド・バーが演じた車椅子に乗った刑事部長『アイアンサイド』もまた「肥満男子(ファット・ボーイズ)」だ。
スポーツ界の「肥満男子(ファット・ボーイズ)」の代表
何といってもベーブ・ルース。元祖二刀流のホームランバッターだったが。「彼の身体が肥満で病的なのは、食に対する不可抗力の自然な欲求のためだった」彼はガンに罹り、「痩せ衰えて」亡くなった。
「結論」で作者はこのように述べている。
「肥満男子(ファット・ボーイズ)の中心的な社会的境界はジェンダーである。だからこそ、いかにしてオスの人体が許容しうるものと見られ許容しうるものとなるか、あるいはいかにしてそれが病的と見られるかを決定づけるイメージの様式において、肥満男子(ファット・ボーイズ)はより広い場所を占めるようになるのだ。現代におけるジェンダー・カテゴリーの変遷は、肥満体の身体に関係づけられた意味を作り変える」
「男の肥満は、身体一般の限界と可能性を規定するため、ジェンダー・パフォーマンスの一部である」
「肥満男子(ファット・ボーイズ)」という新たな視点からジェンダーを考えるのか。腑に落ちる。