『銀の仮面』と同様に本作でも人間の嫌な一面をこれでもかとひんむいている

 

 
『暗い広場の上で』ヒュー・ウォルポール著 澄木柚訳を読む。

 

頃は第一次世界大戦後、年末。ところは花のロンドン・ピカディリーサーカス。
やって来たのは、仕事運に見離されたリチャード・ガン。
手持ちのわずかな金を食事代に遣うか、「散髪代」に遣うか、迷う。
で、「理髪店」に行くことにした。
そこで偶然、リロイ・ペンジェリーと遭遇する。根っからのワル、ペンジェリー。

 

正業についていた頃、リチャードはオズマンドと懇意にしていた。
登場人物には「謎の貴族」と記されているジョン・オズマンド。
リロイ・ペンジェリーはオズマンドとの共通の友人を通して
高価な装飾品をちゃらちゃらしている婦人から
装飾品を奪う話を持ちかける。
なぜかその計画が警察に漏れてリチャード以外の3人は逮捕され、2年間刑務所暮らし。
どうやらペンジェリーが密告したようだ。
貴族出のオズマンドがなぜ加担したのか。


空腹の余り、倒れたリチャード。気がつくとオズマンドの部屋に。

当時の仲間にも再開する。そしていまはオズマンドの妻であるヘレンも。
かつてリチャードとはお互い好意を抱いていた。

逃げたと思ったペンジェリーがオズマンドを訪ねる。偶然ではなかった。
リチャードが生活苦であることを知っていて悪巧みへの参加を促す。
しかし、彼らにはもうペンジェリーの甘言は通じなかった。
これまでの蓄積された怒りからか、オズマンドはペンジェリーをいわば私刑にする。

 

ペンジェリーの死体を街中へ連れ出す。聞かれると酔っ払いを介抱するような演技をする。大胆なのか、愚かなのか。

 

華やかな年の瀬のピカディリーサーカス。喧騒と雑踏。
そこにいるリチャードたちの心の闇。余りにも対象的。

 

そこにペンジェリーの弟・ジョーゼフが訪れる。
兄と待ち合わせをしていたが、現われなかったからだ。
ジョーゼフも兄を毛嫌いしていたと言う。仲間の一人ヘンチが真相を明かす。
兄が兄ならば弟も弟。口止め料を要求する。
オズマンドの異様な怒りに気づきあわてて逃げ出す。

オズマンドとジョーゼフは。
そしてリチャードとヘレンの恋の顛末は。


映画でいうところのカットイン、カットアウトが多用されていて、詳細な説明はしない。ピカディリーサーカスを介在して現実と幻想が交錯する。
きわめて地味な、音楽でいえばクラシックのような味わい。
じっくり読ませるミステリー。つーか、罪と罰を捉えたミステリータッチの純文学って感じ。
『銀の仮面』と同様に本作でも人間の嫌な一面をこれでもかと見せている。


人気blogランキング

堕ちていく男。名前はビリー・ブレイク


冷たい雨。キンモクセイのオレンジ色の花が路上に。

 

 

『囁く谺』ミネット・ウォルターズ著 成川裕子訳を読む。

 

ロンドンのある邸宅のガレージに潜り込んだホームレスが餓死した。名前はビリー・ブレイク。ビリー・ブレイクとは、イギリスの著名な詩人・版画家ウィリアム・ブレイクのことだそうで、日本人にたとえると佐藤一郎みたいなもんで、余りにもわかりやすすぎる偽名。自ら餓死を望んだ節があり、緩やかな自殺と言ってもいいだろう。

 

不審な死に疑問を抱き、ホームレスの素性を調べ始める記者マイケル。そして写真処理係資料管理者のハリー。生前のビリーとつきあいのあったホームレスの少年テリー。3人の中年&少年探偵団が謎の解明に挑戦する。マイケルもハリーもそれぞれに屈折している。誰だってオヤジになれば、すねに少々の傷を持つ身なのだ。

 

例によってこみいったストーリーで、登場人物の名前を確認するため、何度、最初のページに戻ったことか。それにしてもいままでの作品以上に作者は、読者を煙に巻く。本筋と関係あるのかないのか、わからないような話の展開や登場人物の出現…。だんだんじれてくる頃になると、事件の核心につながる部分を覗かせてくれる。まさに、手練手管。

 

なぜビリーはホームレスになったのか。テリーが聴いたビリーがそらんじていた詩の一部のような言葉の意味するものは。次第にビリーの正体がつまびらかになっていく。そして隠されていた殺人事件も。クライマックスですべてがつながる。

 

「人生プラスマイナスゼロ」説というのを、ご存知だろうか。良い時(プラス)と悪い時(マイナス)が、一生を終える時、チャラになるとかいうもので、ぼくは、意外と当たってるなと思っている。このホームレスの男は、人生の前半でプラスをすべて使い果たしてしまい、後半はマイナスしかなかった。

 

成功者という人生の階段を転げ落ちてしまった男。宿無しとなった暮らしぶりは、わずか数年間で、風貌さえも一変させてしまった。生きる意欲さえ無くしてしまった彼は、生ける屍同然だったのだろう。理由を知れば、さもありなん。そこはかとなく漂う英国テイストも、ファンにはたまらないはず。

 

ホームレスの少年が、こまっしゃくれていて、とても魅力的。重たいストーリーに一服の清涼剤となっている。


人気blogランキング

『ウイルスVS人類』―VSは正しいのか

 

 

『ウイルスVS人類』瀬名秀明 押谷仁 五箇公一 岡部信彦 河岡義裕 大曲貴夫 NHK取材班を読む。NHKBS1の『BS1スペシャル ウイルスVS人類』の2回シリーズをもとにまとめたもの。

TVのニュースや特集、新聞、ネットニュースなどで新型コロナウイルスに関する情報は
得ていたはず。ある程度知っていたはず。この本を読むことで
断片、断片ではなく全貌を知ったり、再確認することができた。何か所か引用。

 

「わかりにくい、見えにくい」「新型コロナウイルスによる感染症の特徴」

 

押谷 この新型コロナウイルスによる感染症の特徴は、非常にわかりにくい、見えにくいところにあります。―略―この感染症では、無症候感染といって、感染しても症状が出ない人、症状が軽い軽症者がかなり多くいるのが特徴です。そして、無症状の感染者は自覚がないままに感染を広げてしまう危険性が高い。―略―2003年に流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)ではほとんどの感染者が重症化したので、感染者とそうでない人を見分けることが容易だった」

インフルエンザはすぐに高熱が出て薬により抑えられるが、新型コロナウイルスは発症まで時間がかかる。で、十分に対策を講じてもクラスター感染することがある。タチが悪い。まさに大釜を手にした死神のようだし。

 

「人類が自然環境を破壊」することが「新しいウイルス」を覚醒させる

 

五箇 新しいウイルスはどこから来ているかというと、野生動物から由来しているものが非常に多いと考えられています。―略―なぜこうしたことが起きているか。要は、我々人類が自然環境を破壊して、生き物たちの世界に踏み入ることで、野生生物たちが持っているウイルスに接触する機会がものすごく増えているからなんです」

 

 五箇は、地球温暖化により永久凍土が溶けだすことでいままで封印されていた未知のウイルスが出現する可能性もあげている。

 

新型インフルエンザの対策では新型コロナウイルスには通用しない

 

瀬名 新型インフルエンザと新型コロナウイルスは、本当はまったく別の考え方をしなければならなかったはずなのに、これまでの新型インフルエンザなどの前例に引っ張られた面があるわけですね。ある意味で、過去の教訓に頼りすぎた」
押谷 そうなんです。新型インフルエンザでは大規模感染が起きても、ワクチンや抗ウイルス薬もあり、被害軽減が可能だった。しかし、今回の新型コロナウイルスはやるべきこと、対策の方向性が全然違う。―略―感染拡大を防ぎ続けるのが最も有効な対策であり、そのために行動制限などが必要となっているのです」

 

 行動経済学でいわれているように人は前例にとらわれがち。管轄省庁を横断した統括部門が必要だとも。

 

押谷 実は、これまでのところ新型コロナウィルスの制限を非常にうまくやっているのは、シンガポール、香港、台湾など、いずれもSARSの感染を体験した国々なんです。―略―SARSの体験が活きていて、きちんと対応できる体制をつくっていたということだと思います。たとえばシンガポールはすべてに病院でPCR検査ができる体制がすでに出来上がっていました」

 

日本の新型コロナウィルスの死亡率の低さは、きれい好き、靴を脱いで家に入る、握手やハグをしない習慣性などだといわれていたが、

押谷 日本の医療システム、医療レベルの高さを示すものでしょう」

と。結局、そういうことだよね。


新型コロナウイルスのワクチンについて

 

河岡 ―略―重要なのはワクチンができるかできないかではなく、どれだけの人に打てるかという量の問題だと思います」

 

新型コロナウイルスパンデミック」に必要なもの

 

瀬名 シンパシー(共感)とエンパシー(感情移入)。―略―シンパシーとは「寄り添う」ことであり、エンパシーは「思いやり」ではないか。―略―シンパシーとエンパシーのバランスこそが真の「人間らしさ」をつくる。シンパシーは個人の心を救い、エンパシーは人類を救う」

ウィズコロナ、アフターコロナ、ポストコロナという言葉をよく見るが。
コロナを戦争にたとえられるが、抗戦や反戦ではなく非戦ということなのだろうか。


人気blogランキング

「自然という古文書を読み解く」

 

 

『絶滅恐竜からのメッセージ  地球大異変と人間圏』松井孝典著を読む。

 

恐竜はなぜ絶滅したか。ご存知のように実にさまざまな説がある。「哺乳類の台頭によるもの」「種の老化」「(恐竜が餌として)新しい植物に対応できなかった」などなど。作者は、物理学者アルバレスらが提唱した「隕石衝突説」に着目する。直径50m以上の巨大な隕石が地球に激突して、想像を絶する「大爆発を起こす」。爆発のみならず、その後「何十万年にわたって環境撹乱をひきおこすことが指摘」されているそうだ。

 

作者は隕石衝突で生じたクレーターを捜して、メキシコ・ユカタン半島、チュチュルブ村の地下に眠る巨大クレーターのフィールドワークに出かける。ユカタン半島と言えばマヤ遺跡。有名な365段の階段のあるピラミッド型神殿や熱帯雨林、「マヤ文明を生んだと聖なる泉セノーラ」などをも訪ねる。

 

さらに作者は、キューバにある6500万年前の津波跡(津波堆積層)を調査しに行く。実際に目にして得られる感慨。このあたりの文章は、あたかも冒険小説のように、読んでいてわくわくしてくる。このフィールドワークの中で、恐竜絶滅の理由は「隕石衝突説」への確信を強くしていく。

 

そしてこのチュチュルブの隕石衝突よりも、地球環境に擾乱(じょうらん)をひきおこしているのが「人間圏の肥大」であると。人間が「ストック(蓄積)型のモノとエネルギーの利用」は、かなりのものであることを、具体的なデータを挙げながら端的に説明している。「現在の環境問題論議は、対処療法にすぎない」とも。

 

最終章の「自滅を回避する方途」では、その一方法としてレンタルを提案している。たとえば、それは、江戸時代の日本にあった「里山(さとやま)」である。「山や海を公有地として、みなで手入れしてその結果をメリットとして受ける」もので、下刈りなどを施された山は美しく整備され、人々は四季折々に山の幸を分かち合いながら、受け取る、まさに共生の見本である。「入会地(いりあいち)」と言った方が、より通じるかもしれないが。

 

作者は、昨今流行りの「地球にやさしい」や「自然との共生」というフレーズについてこうバッサリと切っている。


「ほんとうに地球にやさしくしたいなら、極端な物言いかもしれないが、人間圏を消滅させ、人類が再び生物圏にもどるに如(し)くはない」

また

「生物圏と共生しようというならば、社会の体制を生物圏から分化していなかった縄文時代以前に戻すしかない」


「自然という古文書を読み解く」いいフレーズなので、まんま、タイトルに引用した。絶滅した恐竜から学ぶこと、自然からその生成の物語をきちんと解釈することは、人間が同じ轍を踏まないためにも、あるいは新たなブレイクスルーを見出すためにも、
重要なことである。コンパクトな本だが、多くのことを考えさせられる。

人気blogランキング

なぜか、なぜか

 

 『悪魔の涎・追い求める男他八篇―コルタサル短篇集』コルタサル著 木村榮一訳を読む。『秘密の武器』『遊戯の終わり』コルタサル著 木村榮一訳と『奪われた家/天国の扉』コルサタル著 寺尾隆吉訳と作品がダブっているものがあるのでダブっていないものを紹介する。

 

『夜、あおむけにされて』
夢と現実がどんどん錯綜していく世界。夢が現実を侵犯していく。夢おちなら「なんだ夢か」とか「夢でよかった」となるが、そうならないところがコルタサル

 

『南部高速道路』
高速道路は大渋滞。やむなくクルマから降りて話をする人々。渋滞はいつまでたっても解消しない。高速道路遭難かの思いを強くした頃、解消する。そこに広がる光景は。映画『ララランド』の冒頭シーンを思いうかべる。不吉なララランド。なんかSFっぽいんですけど。

 

『正午の島』
美しいエーゲ海の島に魅せられたマリーニ。島への移住を真剣に考えるようになる。島で海に飛行機が墜落するのを目撃する。中には顔なじみのCAが乗っているかも。海に飛び込む。マリーニにしがみついてくる男。楽園のような島が一瞬にして生き地獄と化す。

 

ジョン・ハウエルへの指示』
ピーター・ブルックに捧げる」と書いてあるが、文中にも演劇論がさりげなく述べられている。芝居を見に行ったライス。第一幕でジョン・ハウエルを演じた役者の代わりになぜか第二幕から舞台に立つことに。困惑しながら舞台に出たが、なぜか追われることに。なぜか、なぜか。不条理と悪夢。舞台を離れても芝居が続く。街頭劇だったのか。

 

『すべての火は火』
グラディエーターたちがバトルする古代ローマ時代のコロッセウムの炎とパリのアパルトマンのこじらせカップルの炎が重なる。タバコに火をつける二人。炎上するコロッセウム。揺らぐ炎、揺らぐ心。

 

『悪魔の涎』『追い求める男』のレビューはこちらで
『秘密の武器』コルタサル著 木村榮一

soneakira.hatenablog.com

 

『続いている公園』のレビューはこちらで
『遊戯の終わり』コルタサル著 木村榮一

soneakira.hatenablog.com

 

『占拠された屋敷』『パリにいる若い女性に宛てた手紙』のレビューはこちらで
『奪われた家/天国の扉』コルサタル著 寺尾隆吉訳
『占拠された屋敷』→『奪われた家』
『パリにいる若い女性に宛てた手紙』→『パリへ発った婦人宛ての手紙』

soneakira.hatenablog.com

 

人気blogランキング

三題噺 コルタサル ミケランジェロ・アントニオーニ チャーリー・パーカー

 

秘密の武器 (岩波文庫)

秘密の武器 (岩波文庫)

 

 『秘密の武器』コルタサル著 木村榮一訳を読む。


『母の手紙』
ルイスは兄のフィアンセ・ラウラを横取りして結婚。パリで暮らしている。
兄は死んだのに、ブエノスアイレスに住む母から時おり届く手紙には生きている様子が。兄がパリに来るという手紙が来る。

 

『女中勤め』
「家政婦は見た」ならぬ「女中は見た」。キャリア豊富な女中の視線を通してパリの上流階級の退廃さや陳腐さ、虚飾を暴く。やさしく接してくれたべべー氏の葬儀になぜか行くことになったが、そこでも。

 

『悪魔の涎』
写真家であるミシェルは、カメラを携えパリの街を散歩しながら気に入った被写体と出会えば、シャッターを切っていた。サン・ルイ島で「アベック」を目撃する。母と息子か。年の離れた恋人同士か。あるいは若いツバメか。妄想をふくらませる。隠し撮りをする。それがばれる。女性は抗議し、若い男はなぜか逃げる。無視するミシェル。「数日後、フィルムを現像する」。二人を撮った写真のできばえに満足。大伸ばしする。
凝視すると写真の風景が動き出している。こ、こわ~。ミケランジェロ・アントニオーニ監督がこの作品に感化されできた映画が『BLOW-UP 欲望』だそうだ。

 


BLOW UP - Official Trailer (1966)

 

『追い求める男』
ドラッグで亡くなったチャーリー・パーカーをモデルにした作品。モダンジャズ創始者の一人と言われる。ジョニ―は天才サックス奏者。演奏は独創的で素晴らしいが、性格や素行は最悪。ドラッグ中毒者。
ブルーノはジョニーの伝記を書くほど親しい間柄。しかし、評判の高い伝記も当人からみれば不満だらけ。ジャズの先頭を切るジョニーには常に新しいものを求められる。わかってはいるが、容易ではない。煮詰まった挙句、ドラッグに逃避する。
ジョニ―はオーバードーズで急死する。強さと弱さと脆さ。衝撃を受けるブルーノ。でも心の片隅で、ジョニ―は伝説の人となった。これで伝記は完結した。本も売れるだろうと。恐るべき作家の性(さが)。ジャズ小説集を編むならば、ぜひ入れたい一篇。

f:id:soneakira:20201001140313j:plain

 

『秘密の武器』
ピエールと恋人のミシェル。ミシェルの別荘に行くことになるが、ピエールに取り憑いた人が彼女のトラウマを思い出させる。いま、私をハグしているのはピエールではない。誰?頭がくるくるしそうな結末。

 

 

人気blogランキング

元祖何でも見て野郎

 

 『ジョージ・オーウェル―「人間らしさ」への讃歌』川端康雄著を読む。

 

190㎝余りの長身痩躯、病弱なのにヘビースモーカー。
代表作である『動物農場』、『1984年』により「反ソ・反共」の作家とみられがちなオーウェル。著者は、そんなゴリゴリの右寄りの作家ではないと彼の人生を追いながら述べている。

 

「なによりも米政府が『動物農場』と『1984年』を積極的に冷戦プロパガンダに利用していったのである。そのように利用されるのはオーウェルの本心ではなかった」

 

ジョージ・オーウェル、本名エリック・アーサー・ブレアは英国・植民地ミャンマーで生まれた。家は「上層中流階級」で「母親から労働者階級の子と遊ぶのを禁じられた」という。「階級差」を刷り込まれたと。

 

学業優秀で「セント・シブリアン校」の特待生で入り、名門「イートン校に奨学生で入学」する。その頃家は経済的に決して豊かではなく、つまり金持ちのボンボンではない彼は大学進学しなかった。「イギリス帝国の警察官」となってミャンマーに赴任する。

そこでさまざまな矛盾、ひずみ、世の中の不合理さを感じる。


「イギリス帝国の公僕」なのに心の底では「帝国主義の権威」を嫌悪する。まもなく安定した地位を自ら下りて作家を目指す。

 

安吾いうところの「生きろ、堕ちよ」ではないが、庶民の極貧の生活をロンドンとパリで体験する。いまでいう潜入ルポ『パリ・ロンドン放浪記』を書きあげるが、なかなか出版されなかった。ようやく出版されても売り上げは芳しくなかった。

 

カタロニア讃歌』は、「スペイン内戦に参加した記録を綴ったルポ」。ここでオーウェルは「喉を撃ち抜かれる」。大男ゆえ格好の的だったのかもしれない。奇跡的に一命を取り留める。天の配剤か。あるいは『動物農場』、『1984年』を書くまで命の猶予を与えようという思し召しかも。

 

第二次世界大戦時、2年間BBCで「ラジオ番組とニュース番組の制作に」かかわる。

その放送を「ジャワ島のバタヴィア」で「海軍」に属していた鶴見俊輔が聴いていた。
なんか偶然とは思えない。著者は二人の共通性をあげている。上からではなく庶民視線から考えるあたりだろうか。


同世代のイーヴリン・ウォーとの交流があったことも知る。

「ウォーは数度オーウェルを見舞いにクラナム(結核サナトリウムに入院していた―註:ソネ)に訪れた。政治観も宗教観も正反対のふたりだが、同年生まれで、互いの著作に関心をもち、双方の書評を書き、手紙も交わしていたので、P・Gウッドハウスジーヴスものや少年週刊誌など、会えば話題は尽きなかったことだろう」

46歳で早世。
動物農場』は、確かに豚を時代の悪の象徴などとみれば新たな読み方ができる。
1984年』、意外に思われるかもしれないが恋愛小説として読めた。

 

soneakira.hatenablog.com

関連レビュー

soneakira.hatenablog.com

 

人気blogランキング