一方、渋澤は確か渋澤財閥の家系に生まれ、サド、リラダン、ユイスマンスなど退廃、世紀末の毒を若者にふりまく作家として人気を博していた。黒眼鏡にパイプをくわえ、頭蓋骨を置いたポートフォリオが、ぱっと浮かぶ。荒俣宏を腺病質にしたとでも言えばいいのだろうか。
初体験の思い出を書いた文章が、白眉で、ぼくの中のアニマが疼いてしまった。なんてみずみずしいんだろう。その美しい青春のまぶしさに目を細めてしまった。
読むにつれ、二人の関係が単なる恋愛関係ではないことを知る。
作者は、資料を探したり、下訳をしたり、浄書したり、打ち合わせの場に同席したりと、いわば同志、精神的支柱であったようだ。
後年、渋澤が高名になり、鋭さが鈍ったという手厳しい見方を作者がしているのも、最も良き渋澤の理解者だったからではないだろうか。
「いまは知名をすぎた少女のもとに、彼の重病の知らせが人伝てに届いた」
すでに声を発することができなくなった渋澤を見舞う作者。その情景は、映画のワンシーンのようだ。
この「知名をすぎた少女」という言葉に、ドキリとする。作者は、この6月に自ら命を絶ってしまったのだが、なにかそれを暗示しているような気がしてならない。
齢(よわい)を重ねるということは、人それぞれにさまざまな知識や経験を積んで、
本心を隠したり、ごまかしたりする術(すべ)を身につけていくことなのだが、
それらを一枚一枚剥いでいくと、一番中にあるものは、存外、変わっていない。「あの頃のまま」である。
本心を隠したり、ごまかしたりする術(すべ)を身につけていくことなのだが、
それらを一枚一枚剥いでいくと、一番中にあるものは、存外、変わっていない。「あの頃のまま」である。
なぜこんなに胸に迫るのか、それは事実だからだ。でも、事実がすべてそうなるわけじゃない。誤解なきように。