読んだ本、ただいまレビューへと発酵中。なんで、昔、書いたやつを連投で。
文中の「少女-老女予備軍としての」「老女-少女後遺症としての」という作者の言い回しが効いている。
てゆーか、このコンセプトが一冊の本に結実した。森茉莉とアナイス・ニン。
前述のアフォリスムにふさわしい作家ではないだろうか。
生まれ育ちが良くなければ本物の食通にはなれないらしいが、文豪の娘として生を受け、寵愛され、結婚後は、1920年代のパリ暮らしを満喫する。絢爛たる物語の世界は、彼女の生きてきた豊かさや贅沢さがエッセンスとなって映し出されている。
ともすると、森茉莉は、ファザコンのように思われがちだが、鴎外の作品に対する評価は、なかなか手厳しい。エッセイ『記憶の絵』の中でも、室生犀星と比較して、面白味というか洒脱さが足りないようなことを書いていた。生前の森茉莉と親交のあった作者自身の話も興味が尽きない。
アナイス・ニン。作者曰く真性“ファザー・ファッカー”。その膨大な量の日記自体がまんま文学と評価される、天性の美貌の作家。
最近、ようやく『ヘンリー&ジューン』のカバーで御尊顔を拝謁することができた。
夫の庇護のもと、ヘンリー・ミラーをはじめとする男性との恋愛を重ね、文才に磨きをかけ、若い才能を見出すことにも尽力を惜しまなかった。
アナイス・ニンを発見した作者は、本作ではまだ研究途中で、後年『アナイス・ニンの少女時代』を上梓する。
「BS漫画夜話」の水野英子の回で、彼女の功績は、男性の漫画家が描く少女漫画ではなく、女性の漫画家でなければ描けない少女漫画を切り拓いたことにある的コメントを誰かがしていて、なるほど!と思った。同様なことが少女文学、女流文学という範疇にも言える。
少女漫画、少女文学、女流文学という言い方はフェミニズム的にNGなんだけど。
20歳前後に夢中になって読んだ森茉莉の小説は、オヤジと成り下がった今では、生クリームたっぷりの大きなデコレーションケーキを丸ごと完食するようで、ちと、つらいのだが。
エッセイは相変わらず魅力的で、眠れぬ夜や読みたい本が手元にない時は、書棚から引っ張り出して、つらつらと拾い読みをしている(関係ないけど、最近のケーキや和菓子はなぜ甘くないんだろ。英語でSWEETSっていうのにねえ)。
こんなこというと顰蹙を買うかもしれないが、言ってしまおう。 多分、女性の方が小説は上手なのではないだろうか、と。