ヒトは装飾動物

 

 先日、若い女性がローライズのジーンズで折りたたみ自転車に乗って

脇をギリギリすりぬけていった。一陣の風が吹き、彼女のTシャツのすそがめくれて、
ちょうど腰骨の真ん中に施されてあるタトゥがお目見えした。
どう表現すればいいのだろう。ライトニングボルトを二つ組み合わせたような紋様。
 
タトゥでいいのか、刺青なのか。ブラッドベリの『刺青の男』の原題は「The Illustrated Man」。ローリングストーンズにも同じタイトルのアルバムがあった。
 
いま、『「装飾」の美術文明史』鶴岡真弓著を読んでいるんで、
そんなことを思い浮かべた。
作者はケルトブームの草分けの人で、『ケルト/装飾的思考』には度肝抜かされた。
もうひとつのヨーロッパ文明の深層を解き明かし、その潮流がはるか日本にも及んでいると。
たとえば、原型はケルトで生まれ、欧州からシルクロードで中国へ渡り唐草文様となり、日本に渡って、現在の形になった。そして東京ぼん太がリヴァイバルさせた(→蛇足)。
 

「いまでは「ゴシック」も「バロック」も「ロココ」も、時代様式の名前として使われていますが、いずれも装飾文様やモチーフの名前から来たものでした。
「「グロテスク」や「アラベスク」という概念も」「装飾/文様の名前でした」

 

 
バタイユの『エロティシズム』からの作者の引用。
 

「エロティックな体験は何らかの意味で、通常の外の世界に位置している。私たちの体験の全体から見ると、それは情緒の正常な交流から本質的に締め出されているのです」

 

 
なんとなくわかる。
 

「『装飾』の美術が打ち開くエロティックな関係の経験は、こうも説明できましょう。モノ=存在の表面に増殖する『装飾の力』は、私たちに『完成』ではなく『プロセス』を、『決定』ではなく、『暗示』の方法を告げ知らせながら、人間の生の展開を支えている」

 

「コンテンツ(内容)がフォーム(形式)に先行するわけではなく、芸術とはフォームがコンテンツを生み出しつつ現れてくる到来の現象なのです」

 

「実存が本質に先立つ」のではなく、本質が実存に先立つってことなのかな。
なんだかんだいって人は、ビジュアル系、ビジュアル志向。
銭湯で湯上り、マッサージ機にタトゥ入りの身体を揉ませていたり、
町内会で勇ましく神輿を担いでいるプチ刺青を入れた兄さん方も、そのようなことなのだろうか。
 
願わくば、図版・写真がカラーでもっと何葉かあれば、よかった。
最初の方にまとめてあるんだけど、もっと色気を。
 
中高年女性のドハデな柄物好き、いわゆる「オバガラ」「ガラモン」も、
何か通じるものがあるのだろうか。