ヒトは、白紙じゃ生まれてこない-2

 

人間の本性を考える  ~心は「空白の石版」か (中) (NHKブックス)

人間の本性を考える ~心は「空白の石版」か (中) (NHKブックス)

 

 『人間の本性を考える 心は「空白の石版」か(中) 』スティーブン・ピンカー著 山下 篤子訳の感想メモ。

 
このあたりで、ようやく読むスピードがあがってくる。
ともかくこの本は、タイトル通り、人間のプリンシパルな部分を再検討しているので、
こちとらも頭で噛みしめないといけないので、匍匐前進状態。なかなか先へと進めない。
 
「道徳的茫然」の章がやけにひっかかるので引用。

「人は道徳のルールを普遍的なものだと感じる。たとえば殺人やレイプの禁止令は、好き嫌いやファッションの問題ではなく、超越的、普遍的な根拠をもっている。人は、不道徳な違反行為をした者にそれなりの損害を与えるのは正しいと感じるだけでなく、損害を与えずに「見逃しにする」のはまちがっていると感じる。「ブロッコリは好きじゃないけど、君が食べるのはかまわないよ」と言うのはなんでもないが、「人殺しは好きじゃないけど、君がだれかを殺すのはかまわないよ」とは誰も言わない。中絶賛成派の人たちが貼っている「中絶に反対なら、しなければいい」というバンパーステッカーが的はずれなのはこの理由による。中絶は不道徳だと信じている人にとって、ほかの人たちが中絶を許すのは、レイプや殺人が選択肢ではないのと同様に選択肢ではない。だから人びとは天罰を祈願したり、国が強制力のある罰則を制定することを願ったりするのを当然のことと感じる。バートランド・ラッセルは「道徳家はやましさをともなわない残酷な処罰を喜ぶ-だから彼らは地獄を考案した」と書いた」

 

 
ほかにもよくカッコつけて、「世論やリサーチは疑え」とかいいたがるけど、そんなことをいう方を疑ってみるのもいいだろうと。
 

「人は、不道徳な違反行為をした者にそれなりの損害を与えるのは正しいと感じるだけでなく、損害を与えずに「見逃しにする」のはまちがっていると感じる。」

このあたりが、すごく納得できて、怖さを感じる。自分のことは棚にあげて。あるいは五十歩百歩かもしれないのに、なあ。

 

たとえば嫌煙権。伏流煙は喫煙していない第三者に肺ガンを発病させる可能性がある。
しかも街中で喫煙するのは、マナー違反だ。だから注意を喚起しても悔い改めないものに対しては、罰を与えてもかまわない。(自分以外の)マナー違反の喫煙者が該当するなら止むを得ない。いってきかなきゃ罰則だ。というのは知らず知らず子どもにしているんだけど。
旬な話題だと、自粛警察。
 
道徳、倫理、公共心…。
絶対的なものに思いがちだけど、実は相対的なもの。きわめてタマムシ色。
シーソーに乗った子どもたちのようなもの。
かたっぽが重くなると、そっちへなびく。逆も同じ。