『居るのはつらいよ』東畑開人著を読む。
以下まとまらない読書メモ。
以下まとまらない読書メモ。
心理学の博士課程を出た作者。
「臨床心理士」としてなかなか良い就職先が決まらない。
セラピーをのぞむが、それはゼロに等しく、
ケアの仕事は山のようにある。でも、安い。
「臨床心理士」としてなかなか良い就職先が決まらない。
セラピーをのぞむが、それはゼロに等しく、
ケアの仕事は山のようにある。でも、安い。
で、沖縄のクリニックに勤務する。
沖縄の景観や空気に「浮かれていたハカセ」。
「精神科クリニック」内の「デイケア室」が職場。
面食らうことばかり。
面食らうことばかり。
「メンバーさんは社会に「いる」のが難しい人たちなのだ。だから、僕の仕事は「いる」のが難しい人、一緒に「いる」ことだった」
当初は「いる」ことに戸惑っていた作者だが、
「「いる」を徹底することにした」
同僚や看護師さん、メンバーさんなどとの毎日の中で新たな気づきや発見をする。
「セラピーを学んできた僕は、「私は私、あなたはあなた」を叩きこまれてきた。心の問題を扱うセラピーとは、きわめてプライベートな内容をプライベートに扱うものだから」
ところが、デイケアでの臨床を重ねているうちにこう考えるようになった。
「デイケアには―略―孤独になると「心と体」を分かつ薄皮が燃え去りやすいから、誰かと共に「いる」ことを必要としている人たちが集まる。彼らは他者に開かれていて、そして他者を必要としている」
セラピーとケアの時間の流れについて述べている。興味深い考察。
「セラピーの時間はぐるぐると回りながらも右から左へと流れていきます。―略―基本的にはセラピーではAという状態からBという状態へと移行することが目的となります」
よくなる、改善するなど設定した目的がその通りになるかどうかはわからないが、
「少しは変わる」あるいは「ささやかな成長とか成熟を得られる」と。
一方
「ケアの時間は円環的に流れている」それは「デイケアは―略―平衡状態を提供する場所だから」「毎日が同じように繰り返される」
まとめ。
「僕らは二つの時間を生きている。一つは線的時間で、それは僕らに物語をもたらす。もう一つは円環的時間で、それは僕らに日常をもたらす」
このエントリー続く。
書きますた。