箱根駅伝を見ながら

 

執念深い貧乏性

執念深い貧乏性

 

 箱根駅伝を見ながら、『執念深い貧乏性』栗原康著を読む。久しぶり。

母校愛などはないのだが、にわか母校ファンとなり応援するが、
はや1区で断念。にわかゆえ調子いいときしか応援しない。
なんで純米酒をちびちび呑みながら読む進む。
 
著者の本は、ホヤみたいなもので
好き嫌いが見事に分かれるだろう。
ぼくは圧倒的に前者。
 
著者は「アナキズム研究」者だが、書くものはパンク。
だからか一遍上人大杉栄伊藤野枝を書いた本は言葉が躍動している。
 
この本も怒っている。暴れている。
たとえば悪評高き「日本学生支援機構」。
 
女相撲を描いた『菊とギロチン』と
鈴木亮平の代表作『変態仮面』が改めて見たくなった。
 
山形の即身仏見学記も面白くて。子どもの頃、『少年マガジン』かなんかの特集で
即身仏になる方法を図解で読んだ。作者が言うようにミイラと即身仏は違う。
ミイラは死体を後処理で腐敗しないようにするが、
即身仏は僧侶が徐々に食べ物を控える。生きている証に鈴を鳴らして読経する。
自ら腐敗防止のコールタールを飲んで嘔吐するなど凄まじい業だ。
 
アナキズムマゾヒズムには関連性」があるそうだ。
「家父長制」から脱却するためには。
 

「オレのなかの父をぶっ殺すしかない。父親と同じ土俵にあがってやりあうんじゃない。そっからトンズラするんだ。―略―で、マゾヒズムっていうのは、まもってやんなきゃいけないはずの母に、女に、デシッ、デシッてムチをうってもらうわけだ」

 

「トンズラする」は、浅田彰の『逃走論』と同義だね。
うなずいたあなたは中高年の元ニューアカ世代。
 

女性のムチがはいったら、すべてがガラッとかわるのだ。主人でも奴隷でもどっちでもない他のなにかになっちまっているんだから、もうなんにもとらわれない。あたらしい生をいきはじめている」

 引用すると開いた文体が特徴だとわかる。

 

マゾヒズム論って暴力論としてもよめますね」

 

 
「資本家と労働者」の関係。DVにおける親(養親)と子どもの関係など。
 
んでもって「大正時代のアナキスト金子文子」の生涯を取りあげている。
いやあカッコいい。
彼女の著作『何が私をこうさせたか』を読んでみよう。
 
栗原康とトミヤマ ユキコを講師にしている東北芸術工科大学はエライ!
もしぼくが福島県で高校生だったら東北芸術工科大学でアートを。会津大学でコンピュータを学びたいと思うんだろうね。
でも、都会の絵の具に染まりたいか。