真夜中のエンジェル・ベイビー

 

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ヴァルター・ベンヤミン: 闇を歩く批評 (岩波新書)

ヴァルター・ベンヤミン: 闇を歩く批評 (岩波新書)

 

 ヴァルター・ベンヤミン-闇を歩く批評-』柿木伸之著を読む。

 
画像はパウル・クレーの「新しい天使」。
この絵をベンヤミンは持っていた。
驚くほど安い値段で。
この絵から啓示を受けて論考にまとめた。
 
以下引用。
 

「それぞれの言語が、一つひとつの言葉を具体的な媒体として姿を現わす。このときその言語自体が「伝わる(ジヒ・ミットタイレン)―この言い方はドイツ語では、同時に心中を打ち明けることも表わしている―のだが、こうして具体的な言語が「媒体」として生じる出来事を、ベンヤミンは、言語学で言う動詞の中動態になぞらえている」」

 中動態に関してはこのエントリーを参照されたし。

 

 
ベンヤミンと言えば「アウラ」。

「「遠さが一回的にあらわれること」と定義」されている。
オリジナル、本物、生とか。
それが「技術的複製可能性の時代」。

要するに映画、レコード、写真など大量複製が容易になって
芸術は大衆化したが、アウラは「衰滅」したと。
ボードリヤール言うところの「シュミラクール」。
コピー、レプリカとか。
VR(ヴァーチャル・リアリティ)をベンヤミンはどう批評しただろうか。
あと、ヒップホップのサンプリングも。読んでみたい、不可能だけど。
 
ファシズムのまっただ中、人生を送った。
 

ファシズムの本質は、人々の剥き出しの生を、相互監視を含んだ情報技術を駆使して一つに束ね、「われわれ」の他者を排斥しつつ支配圏を拡大しようとする政治的意図のために動員するところにある。―略―ベンヤミンは、そのありさまを見据えていた」

 

ここ、大事。なんだか似てないか。
ユダヤ人であるベンヤミンの書くものを怖れ、うざいと思い、だから、追われた。
「時代の闇」、隠蔽しておきたいものを言葉で露わにするからだ。

ナチスドイツから追われていたベンヤミンは、
当時パリ国立図書館で司書をしていたバタイユに著作の一切を預ける。
万が一紛失や追っ手に入手されたりしていたら、
後年、ぼくたちは彼の批評を読むことができない。
ベンヤミン好きなら周知のことだが。
 
ブレヒトハンナ・アーレントとの交友のエピソードが紹介されている。
お互いが刺激し合える数少ない同好の士だったのだろう。
 
真夜中のエンジェル・ベイビーは、平山三紀の名曲。
そこから拝借したもの。