「フェミニスト批評」というメガネでのぞいてみると

 

お砂糖とスパイスと爆発的な何か?不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門

お砂糖とスパイスと爆発的な何か?不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門

 

 


『お砂糖とスパイスと爆発的な何か—不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』
北村紗衣著を読む。
 
著者のことはいつぞやの「アフター6ジャンクション」だった。
早口なライムスター・宇多丸に劣らず早口。
それでも口に出す言葉と考えの量にタイムラグがあるような感じだった。
 

フェミニスト批評は、これまでの批評が実は男子文化だった、というところに位置しています。批評の歴史において、批評家は男性中心的な社会の中で作られたテクストを男性中心的な視点で読み、それが普遍的に通用する解釈なんだ、と無意識に思い込んでいました」

 

 
で、「フェミニスト批評」というメガネで映画や文学や芝居をのぞいてみると
あーら不思議。意外な発見や気づきを与えてくれる。
簡単に浅漬けの感想を。
 
〇「キモくて金のないおっさんの文学論」
「キモくて金のないおっさん」をこう定義している。
 

異性愛者で、仕事も私生活もうまくいかず、金銭的に問題を抱えた中年以上の男性を指すようです」

 

さらにこのキャラたちが「近現代文学」では「主役」だったと。
ベケットスタインベック、そしてチェーホフの作品をあげている。
異性愛者」ではないぼくは、単なる「金のないおっさん」のようだが。
猫好きはもしかしたら「異常性愛者」では。
 
〇「ロマンティックな映画としての『ファイト・クラブ』」
 
映画『ファイトクラブ』ってホモソーシャルホモフォビア(同性愛嫌悪)とミソジニー(女性嫌悪)が入り混じったマッチョ度が濃厚な男の世界だけど、それに萌える女性たち。それを「フェミニスト批評」で読み解くと、このように。

「男性中心主義的を賛美する映画ではなく、むしろ伝統的な男らしさを美化する風潮を辛辣に風刺した作品なのではないかと考えています」

 映画『バベットの晩餐』のラストの豪華な食事シーンは、女性の理想を意味したものだったのか。食いしん坊のぼくは、ひたすら涎を抑えるのに困っていたが。

 
〇「キャンプの美学」
 
フェミニスト批評」に有効、または増強してくれるオプションがスーザン・ソンタグが『反解釈』で提唱した「キャンプ」という概念だそうだ。
 

「キャンプの見方の基準は、美ではなく、人工ないし様式化の度合い」

 

 
流行りの「盛りメイク」などの「盛り」をもっと盛った感じ。大盛り。
 
学者先生となるとつい修得した教養が足かせとなってジャーゴンだらけの
持って回った言い回しで結局、凡庸つーか、つまらないものになりがち。
批判何ぞ委細構わず自分の思いをひたすらまっすぐに述べるさまは不真面目で不良で勇ましくてすがすがしい。
あ、個人的感想っす。

ぼくが大学生の頃は、腐女子というワードは影も形もなかったが、そういう女子はいた。ビスコンティの映画、 俳優ならビヨルン・アンデルセンヘルムート・バーガー。音楽ならクイーンやジャパン。漫画なら元祖BL漫画 竹宮恵子の『風と木の詩』。雑誌なら『JUNE』『ALLAN』とか。
ヘルムート・バーガー様が主演の「ナチ女秘密警察・SEX親衛隊」が、18禁でどうしよう」とか言っていた。
 
作者を腐女子ニュータイプとラベリングしたら嫌がられるかもしれない。
 
この本で取り上げられている映画や本はほとんど未見・未読だ。シェークスピアも読み直してみないと。ゆるゆると見たり、読んだりして「フェミニスト批評」のお手並みを検証してみよう。