『惨憺たる光』ペク・スリン著 カン・バンファ訳を読む。
舞台が韓国以外の国が多いのが特徴かな。日本の若者は経済的理由なのか、内向的なのかはしらないが、海外留学生は減少しているらしい。アジア圏では中国人と韓国人の留学生が増えているとか。そこで彼らが感じる言語、文化、習慣などのギャップ。それが小説を書くなど創作行為のモチベーション、触媒となる。
作品のうち、なんといっても『夏の正午』にやられてしまった。
『夏の正午』
女の子は父親との折り合いが悪くなり、兄が留学しているパリに行く19歳の少女。そこで兄の友人である29歳の日本人青年と知り合う。無口で痩せぎすの青年にいつの間にか惹かれていく。公園や墓地でのデート。太宰治好きが共通している。彼女の片想いのまま「帰国の前日」に会う予定だった。彼は来なかった、来れなかった。その思いを封印して帰国、結婚する。再びパリへ。彼の消息を知る。三十代の今となっては十代の頃の恋は、まぶしい夏の光のように思える。流れ行く時間。陰りいく光。荒井由実時代のユーミンのラブソングと同じほど切なくなる。
『初恋』
風采は上がらない、世渡りも下手そう。そんな文学青年の先輩に恋するのはカッコ悪いことか。キャンパスではブランド物のバッグを持参するのがトレンド。トレンド追従なんてダサいけど、結局アルバイトで購入資金を稼ごうとする女子大生たち。
『惨憺たる光』
映画祭に招聘された世界的に高名な女性監督。業界ではインタビュアーとして知られているタテ・ヨコ、デカい記者。監督はなぜか取材を拒否する。食い下がる記者。ひょんなことから取材がOKとなる。そこで語られる監督の半生。真実の苦味と甘さ。重み、残酷さ。名声と地位を獲得したが、それと引き換えに失ったもの。記者はどうまとめるのだろう。まんま短編映画になりそう。
『国境の夜』に作者もしくは作者世代の本音が主人公を通して語られている。
「果して私が生まれることが私と世界にとっておめでたいことなのかはわからなかったが、私は成長し続けた。その二年後に通貨危機が起こり、さらにもう少し経つと都心のど真ん中にあるビルに飛行機が突き刺さり、イラク戦争が勃発し、イスラエルがガザ地区を空爆し、またまた誰かが誰かを攻撃し、テロをして、虐殺して、世界中を不安に貶める経済危機の中で、数年後、そのときの私より少しばかり年上の子どもたちが海の底に葬られる日が来るとはつゆとも知らずに」
セウォル号事件か。