ホモ・エコノミクスからホモ・ルーデンスへ

 

呪われた部分 (ちくま学芸文庫)

呪われた部分 (ちくま学芸文庫)

 

 


『呪われた部分』ジョルジュ・バタイユ著 酒井健訳を読む。
久しぶりの晦渋さ、相変わらずの難渋さに閉口。
まとめるのにさらに閉口する。
でも、ん十年を経て少しはわかるようになったかも。
 
戦争はなぜ起こるのか。バタイユはこう述べている。
 

「産業生産の過剰が近年の二つの戦争の原因だ」
「この過剰の膨大さが、二つの戦争をとてつもなく激しいものにした」

 

 
よく市場をパイに喩える。
1個のパイを各国で取り合いをする。結果、好景気の国や強い軍事力を持った国が
大きくカットしたとしよう。
すると残りのパイを他の国がシェアする。不満が残る。
ならパイ(市場)自体を大きくすればいい。
たぶんそれが「産業生産の過剰」だと思う。ウィンウィンの関係とか言っているが、どうだろう。
ただやみくもに作って売る。
資本主義も共産主義も第一義は生産をあげているし。
だったら富を生産ではなく消費、蕩尽に大きくシフトしよう。
 
その昔、日本人が「エコノミック・アニマル」と言われていたが、
アンチ・エコノミック・アニマルになることの提言かな。
 
副題の「全般経済学試論」の「全般経済学」とは

「生産より富の消費、つまり蕩尽のほうを、重要な対象にする経済学のことである」

 マルセル・モースの『贈与論』にインスパイアされた「ポトラッチ」が、

有効な一策となると述べている。
ポトラッチは贈られたらそれよりもリッチなものを返礼する。その繰り返し。いわば無限贈与。結婚した夫婦のそれぞれの実家同士が中元や歳暮をはり合うのを、もっとスケールアップした感じ。
 
バタイユの言いたいことは、ホイジンガ―の「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」と同義ではないだろうか。
 
この本が出版されたのは1949年。米ソ、鉄のカーテン時代で、冷戦状態。いつ第三次世界大戦が起こるのかマジで危惧されていたらしい。
 
訳者あとがきより引用。

「戦争への単純な呪いを取り除いて、戦争が「富を蕩尽するやり方」の一つであることをまず近代人に認識させる。余剰は世界規模で必然であり、蕩尽は不可避であるというのに、世界戦争という蕩尽の仕方しか選択できずにいる西欧文明の至らなさを意識させる」

 

戦争は独裁者、ファシストにとってこの上ない玩具だろう。
戦争にとって代わるものに音楽、絵画、映画などの芸術がある。

良い言葉があった。

「遊びをせむとや生まれけむ」(『梁塵秘抄』)

 

 
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