ミルクが日本人を骨太にした!?

 

 『ミルクと日本人 近代社会の「元気の源」』武田尚子著を読む。


文明開化の象徴は洋装と牛鍋だろう。
忘れていけないのがミルク、牛乳。
毎朝、そのまま飲んだり、シリアルに入れたり。
料理やお菓子などに欠かせないミルク。
アスリートが体が大きくするためにカルシウム摂取を目的に、
高校時代、毎日2リットル飲んでいたという話も聞く。
 
ミルクはどのように日本に入って飲料や料理の素材として
広まっていったか。
ミルクの歴史をまとめた本。

醍醐味って確か牛乳に由来しているはず。

「最高の美味」を意味する仏教用語。牛乳製品を発酵の段階にしたがって五つ(乳(にゅう)、酪(らく)、生酥(しょうそ)、熟酥(じゅくそ)、醍醐)に分け、それら五つの味を五味(ごみ)といい、あとのものほど美味であるとする」出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

 

 
スジャータもそうだったような。
修行で弱った釈迦にミルク粥をふるまった少女の名がスジャータ
 

明治2年 築地で牛乳が売り出された」

 

 
「企業的経営の牧牛・搾乳業」のあと押しをしたのが
渋沢栄一
 
酪農王国と呼ばれる北海道。

「開拓が始まったばかりの北海道で、牧畜業が本格的に展開するまでには
長い時間を要した」

 NHK朝ドラ「なつぞら」を見ていた人なら、わかるはず。

 

芥川龍之介が養子に迎えられた家の商売が牛乳店だとは知っていた。
なんか街の牛乳販売店かと思っていたら、
なんと牧場を持って乳牛を飼っていた。
その場所が「内藤新宿(現在の新宿御苑)」。
 
国木田独歩は渋谷区宇田川町、当時は渋谷村。
「牛の五、六頭ごろごろしている牛乳屋」のそばに住んでいた。
東急ハンズあたりか。
代々木あたりに牧場が点在していたという。
 
やがてミルクから「キャラメルなどの食品加工業」が盛んになる。
代表的な会社が森永製菓。
宣伝部長に片岡敏郎というコピーライターの草分け的人物がいて
斬新なアイデアで普及、売り上げに貢献した。
 
佐多稲子出世作『キャラメル工場から』には、当時の未成年者労働の過酷な模様が描かれている。プロレタリア文学ね。
ベトナム技能実習生に対して性懲りもなく同じことをしているとは。
 
戦後、学校給食で出された脱脂粉乳
ミルクが栄養状態の悪かった当時の子どもたちを支えた。
悪評ふんぷんだったが、要するにスキムミルクだよね。
温かかればそれなりにうまい。という印象がある。
小学校1、2年生頃まで給食に出ていたと思う。

いわゆる無脂肪牛乳はいまや高たんぱく、カルシウム、脂肪ゼロでダイエット中の人やアスリート御用達だし。
ミルクは瓶からテトラパックや紙パックへ。

俺ら東京さ行ぐだ」で吉幾三は「東京でベコ飼うだ~」と歌っていたが、
少し前までは東京でも牛が飼われていた。