きょう、マウスが死んだ

 

ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた

ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた

 

 

きょう、マウスが死んだ。
あわてて買いに行く。
仕事上、酷使するのでいっちゃん安いヤツ。
手がちっさいので小ぶりのを。
 
『ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた。』
鏡明著を読む。
タイトルがどことなく植草甚一っぽい。
 
メインは『マンハント』。
それだけでなく『ヒッチコックマガジン』『漫画読本
洋酒天国』『メンズクラブ』などにも及んでいる。
うっすらとは知っていたが、分厚い内容で
マンハント』のAtoZを知る。
 
ネットやスマートフォンがなかった頃は、
紙で得る情報は雑誌や新聞だった。
テレビ局の数が少ない地方では
雑誌は趣味や生き方の教科書、参考書のような存在だった。

ヒッチコックマガジン』は編集長が中原弓彦(小林信彦)で
知ってはいた。ライバルが編集長が都筑道夫の『エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン』。
 
マンハント』を支えた小鷹信光や山下愉一、編集長の中田雅久
インタビューは貴重。
マンハント』日本版はコラムにも力を入れ
植草甚一田中小実昌テディ片岡らが活躍する。
福田一郎の音楽コラムの文体ってなうじゃね?
 
作者はこう書いている。

「「マンハント」という雑誌が、ミステリ雑誌以上にカルチャー・マガジンだと思えてしまうのは、小説もコラムも、多くのミステリ以外のことを
ぼくに教えてくれたからだ」

 

で、ここが重要。

「ペーパーバックサイズ」

 んで、もって

 

「ヌード・グラビア」

 

 
死語を墓場から一つ蘇らせれば、モダン軽チャー。
日本のカルチャー・マガジンのテンプレになった。
 
おおざっぱだけど、
新青年』→『マンハント』(『ヒッチコックマガジン』など)→『平凡パンチ
→『POPEYE』という流れになるようだ。
 
ぼくが『平凡パンチ』を知った頃は
表紙は大橋歩ではなかった。
高校時代、第二次アイヴィーブームで『メンズクラブ』はバイブルだった。
草森紳一命名したことをかなりあとで知る。
 
予備校生のとき、新宿・紀伊国屋書店
ペーパーバックサイズの『宝島』を買った。