- 作者: ジョルジョ・アガンベン,岡田温司,多賀健太郎
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2011/10/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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20章からなる比較的短めのテキストは、なめらかで含蓄がある。
くちあたりの良い酒のようだ。
イケメン好きのオバサンみたいだ。
「バタイユは、高等研究院で、ヘーゲルに関するコジェーヴの講義を聴講していたが、その中心的なテーマのひとつが、実際、歴史の終焉をめぐる問題、つまり歴史以後の世界で呈するということになる自然と人間の姿をめぐる問題であった。歴史以後とは、まさにホモ・サピエンス種という動物が人間になるという忍耐強い労働と否定の過程を経て、それがついに完結を迎える暁のことである」
「コジェーヴは、人間と人間化した動物との関係において、否定や死の側面を優先するあまり、近代にあって人間(あるいはコジェーヴにとっては<国家>)が逆に自己本来の動物的な生に配慮しはじめるようになり、生権力とフーコーが呼んだものにおいて自然的な賭金にすらなっていく過程を見過ごしているように思われる。おそらく人間化した動物の身体(奴隷の身体)とは、観念論の遺産として思考に遺された解消しえない残余なのであり、今日における哲学のさまざまなアポリアは、動物性と人間性とのあいだで還元されぬままに引き裂かれて張りつめているこの身体をめぐるアポリアと符号するのである」
「人間と動物を区分するのは言語である。しかし、言語は歴史の産物なのである。したがって、そういうものとしては本来、言語は動物にも人間にもあてがうことはできない」
「人類学機械が人間の歴史化の原動力であったとすれば、哲学の終焉と時代に左右される存在目的の完遂は、この機械が空回りしていることを意味している」
「動物園の檻は、人間が動物を隔離するものなのか、それとも、動物から人間を隔離するものなのか。この問いかけへの一見自明とも思える答えは、病院、監獄、収容所、戦場、裁判所で日々くりひろげられる光景が脳裡をよぎったとたんに、たちまちあやしいものに見えてくる」
うーん、なんだか、はまりそうだ。もう、はまってるか。
消えたぼくのブログから。