渋谷明治通り・並木橋方面の歩道の河津桜(たぶん)が満開。
気温が乱高下する日々。ご自愛ください。
『奥のほそ道』リチャード・フラナガン 著 渡辺 佐智江訳を読む。
日本軍の捕虜となったオーストラリア軍兵士が過酷な環境下で泰緬鉄道建設に
こき使われる話。
映画『戦場にかける橋』も泰緬鉄道建設で鉄橋をつくらせられる内容だったが、
あちらはイギリス軍。
主人公の生い立ちや兵士になるまで、兵士になっての履歴、
戦後の人生。
同様に日本軍の軍人の生い立ちや兵士になるまで、兵士になっての履歴、
戦後の人生。
それらが交互に繰り返される。
各章ごとに載っている俳句が意外と効果的。
生き地獄のような捕虜収容所。
「スピード!」と捕虜に声をかける。
日本の軍人はヒステリックに鉄道建設を急がせる。
捕虜となったオーストラリア軍兵士は生き延びるために
体力つーか生命を温存するためにゆっくりと作業にかかる。
『シーシュポスの神話』のような作業。
熱帯雨林を切り開いてつくる鉄路はまさに『奥のほそ道』。
食料も薬品も何もかも不足していて飢えと病で
日々櫛の歯が抜けるようになっていく。
「コレラ隔離所」は名ばかりで
ただ死を待つだけ。
日本刀で捕虜の首を切り落とす少佐。俳句とヒロポンをたしなむ。
捕虜収容所の描写は、ルイ=フェルディナン・セリーヌの『夜の果てへの旅』や
大岡昇平の『俘虜記』などを思わせる。
オーストラリア軍兵士と日本の軍人の戦後を書いているのが特徴的。
直接指揮していた少佐などは生き延び、
忠実に彼の命令を履行していた朝鮮人は絞首刑となる。
この戦争の理不尽さ。
戦後、元少佐はこう述懐している。
「(帝国と天皇への)普遍的な善に貢献することを通して、自分は一人の人間ではなくて多くの人間であり、自分たちが究極の善に貢献しているのだとわからなければ邪悪だと思っただろうこの上なくおぞましいこともやってのけられるということを知った」
大量殺人者が英雄となる戦場。
オーストラリアから
最後に出て来る捕虜収容所のシーン。
悪夢なのか、人生の暗喩なのか。
そう若くない人には感じ入るだろう。