『天然知能』郡司ペギオ幸夫著を読む。
著者の本は特に初期のものが難解で。
でも、きっと大事なことを言っていると個人的に思って
わからないまま、時には丸呑みした。
最近は、かなりわかりやすい文体になったが、
でも、わからないところはわからない。
でも、言いたいことはそれなりに賛同できる。
さて、『天然知能』だ。
養殖ものではなく天然ものの脳の話かと思ったら、違った。
「あの人は天然だから」と言うが、それに似ているのかな。
AI(人工知能)vs人間の脳(自然知能)みたいな二項対立がにぎやかだが、
作者はここに、天然知能を提唱する。
「三人称的知性=自然知能、一人称的知性=人工知能」
「一.五人称的知性=天然知性」
だそうだ。
「一.五人称とは、「あなた」に対面する「わたし」のことです。「あなた」自身ならそれは二人称ということになります。しかし、今問題にしているのは、飽くまで、あなたと向き合っている「わたし」なのです。」
禅問答のようだが。あれか、これか。ではなくて、第三極をもってきて
煮詰まる状態を乗り切ること。「あなたと向き合う「わたし」」。
「私たち天然知能は、向こう側感を持って世界を認識しているのです。視界の外に、見えぬものの存在を確信できる。私たちの知覚や感覚は、むしろこのように、単独の感覚の外部を伴って、成立するものではないでしょうか」
外部があるから内部がある。
作者は「一人称的知性=人工知能」を「ユクスキュルの環世界」と言っている。
自己完結した世界。ネット用語で流行った島宇宙とかタコツボ化も同義だろう。
ミラーニューロンが天然知能に重要な役割を果しているかもしれないと。
「ミラーニューロンは、「いま・ここ」で知覚されている行為が違っていても、その目的が同じなら活動すること、完結した行為よりむしろ未完結で曖昧な行為に対して活動すること、などがわかってきたのです」
すげ。
関連して。
『ミラーニューロンの発見』マルコ・イアコボーニ著のレビュー
http://soneakira.hatenablog.com/entry/20090721
『脳のなかの天使』V・S・ラマチャンドラン著のレビュー
http://soneakira.hatenablog.com/entry/20130706
「ダサカッコワルイ」天然知性。
それは
「異質なものを受け入れ続けることにしか、外部に開かれる術はないのです」
「異質なものを受け入れ続けること」。
この国は、この国の人は建前と本音でズレがある。
本来、それは得意だったはずなのだが。
この本の帯文を養老センセイが書いている。
立ち読みしたので大まかな記憶だけど、
AIが図に乗ったらコンセントを抜けばいいと。
ああ名言だと思った。
「中動態」にもつながる。
『中動態の世界』國分功一郎著のレビュー。
http://soneakira.hatenablog.com/entry/2018/08/02/175245