幸せって何だっけ-4

朝、スズメが急降下。
見ると小さなコガネ虫が瀕死状態。
メタリックな緑色。
青銅金、アオドウガネっていうらしい。
スズメはくちばしでコガネ虫を
はさもうとする。
丸呑みはムリだろう。

『幸福とは何か』長谷川宏著の感想の続き。
ちょっと飛ばして
「第三章 20世紀の幸福論」。
「戦争の世紀といわれる20世紀」。
作者は紙幅を割いてメーテルリンクの『青い鳥』で
20世紀の幸福について考える。

「希望を失わないで生きていくということはどういうことか」


青い鳥は近くにいるのに、気がつかないってことなのか。
分相応というのか、足るを知るというのか。
ふと、こんな一節が出る、往年のフォークファンのオレ。

「私には 鏡に映ったあなたの姿を 見つけられずに私の目の前にあった
幸せにすがりついてしまった」(『22才の別れ』by風)

 

 


んでもって作者はアランの『幸福論』を取り上げる。

「伸びをし、あくびをし、心身の安定とゆとりを取りもどす。
そきに日々の暮らしにおける幸福の基本的構図を見てとろうとするのが、
アランの幸福論だ」

 

 

今、少しづつ読んでいる。
朝日新聞で連載されている鷲田清一の『折々のことば』を
長くしたような短文。
軽妙洒脱。

次にラッセルの『幸福論』を取り上げる。
ラッセルは「常識の立場」から幸福を考える。

「幸福が可能な世界に生きる人びとの、なんとかして幸福を手に
したいという思いに向けて、幸福と不幸のありさまを解き明かしていく―
それがラッセルの『幸福論』の指導的な位置だった」

 


今、少しづつ読んでいる。
こちらは気合を入れて読まないといけないなあ。
21世紀になったが、事態はマイナス方向じゃないだろうか。
最後に作者は、こう結ぶ。

「幸福論は、対象となる幸福に似て、晴れがましさや華やかさとは
縁遠い、地味で、ゆったりとした穏やかなものでなければならない」

 

派手な幸福論をアジテーションする人間には、
眉にツバつけて応じろ。と、いうこと。

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