舞茸の語源が、確か山中で天然舞茸の群生に出くわすと
うれしさの余り舞うとか、そんなだったと覚えている。
須賀敦子がそんな存在になろうとしている。
『ミラノ 霧の風景』須賀敦子著を読む。
デビュー作。後の作品の原石がちりばめられている。
オーク樽に仕込まれた原酒が歳月を経てウイスキーに
成熟するように、イタリア暮らしで感じたことを
エッセイにする。
ミラノが霧のまちとは知らなかった。
ファッションと山岳鉄道の始発駅。
ペルージャも出てくるが、
ああ中田英が所属したセリエAのチームか。
古いまちぐらいは記憶している。
ナポリ滞在記はナポリっこの屈折具合や
野菜売りの行商のおばさんとのやりとりが
なんとも映画のワンシーンを思わせる。
「そもそも若いころから私は滅法と言ってよいくらい翻訳の仕事が好きだった。それは自分をさらけ出さないで、したがってある種の責任をとらないで、しかも文章を作ってゆく楽しみを味わえたからではないか」
エッセイは「自分をさらけ出す」ことだろう。
その覚悟というか踏ん切りがついたのだろうか。
「コルシア・デイ・セルヴィ書店との出会いは、それについて一冊の本が書けてしまうほど、私のミラノ生活にとって重要な事件だったのであるが」
書いてしまったし。
リテラシーじゃなくて教養。
受け継がれてきた教養がいつの間にか途切れてしまった。